初回放送日: 2024年3月17日
兼家(段田安則)の計画により花山天皇(本郷奏多)が退位し、為時(岸谷五朗)は再び官職を失うこととなった。まひろ(吉高由里子)は左大臣家の娘・倫子(黒木華)に父が復職できるよう口添えを頼むが、摂政となった兼家の決定を覆すことはできないと断られる。諦めきれないまひろは兼家に直訴するが…。一方、東三条殿では道隆(井浦新)の嫡男・伊周(三浦翔平)らも招いて宴が催され、栄華を極めようとしていた。
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藤原為時-岸谷五朗
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藤原兼家-段田安則、左大臣
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花山天皇-本郷奏多
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師貞親王-伊藤駿太のちに花山天皇となった。
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まひろ紫式部-吉高由里子
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源倫子-黒木華
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源雅信-益岡徹、左大臣
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藤原宣孝-佐々木蔵之介
しょう せふ 1【妾】一 (名) めかけ。そばめ。てかけ。「妻―」
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藤原頼忠-橋爪淳, 大上田人太政大臣(だじょうだいじん)
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藤原為光-阪田マサノブ, 右大臣
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藤原道隆-井浦新、ごんだいなごん 5【権大納言】 大納言の権官(ごんかん)。定員外の大納言。 →権官
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藤原道兼-玉置玲央、参議へ昇進させ
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居貞親王-小菅聡大.png
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藤原詮子-吉田羊
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一条天皇-高木波瑠、幼い時代の一条天皇
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一条天皇-塩野瑛久
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藤原道長-柄本佑
だいだいり 3【大内裏】〔「たいだいり」とも〕 天皇の居所である内裏を中心として朝堂院や諸官庁を配置した一郭。多く平城京・平安京についていう。都の中央北に位置し,大垣に囲まれる。平安京大内裏は南北四六〇丈(約1394メートル),東西三八四丈(約1164メートル)を占める。宮城。
おおうち おほ― 0【大内】 ① 内裏(だいり)。御所。皇居。大内山。 ② 入り口が狭く,内の広いこと。「此は乃ち―なるかも」〈播磨国風土記〉 ③ 「大内雛(びな)」の略。「白酒の無い―は玉の汗」〈誹風柳多留•23〉
だいごくでん 4【大極殿】 大内裏朝堂院の正殿。本来天皇が政務を執る所であったが,のち賀正・即位などの国家の大礼時に臨御するだけとなった。平安京のものは1177年焼失したまま再興されなかったが,1895年(明治28)平安神宮造営に際し,その様式が取り入れられた。大安殿(おおやすみどの)。だいぎょくでん。 →大内裏
たかみくら 3【高御座】 ① 即位・朝賀など朝廷の儀式の際,大極殿または紫宸殿の中央に設けた天皇の座。黒塗りの三層の壇の上に,八角形の屋形を据えて帳(とばり)をめぐらし,内部に畳や茵(しとね)を重ねて天皇の座とする。 ② 天皇の位。天位。「―天の日嗣と」〈万葉集•4089〉
たくみ 0【〈内匠〉 】〔「たくみ(匠)」から〕 宮廷の工匠。 内匠司『たくみのつかさ』
なまくび 20【生首】斬ったばかりの首。斬り落としたばかりの生々しい首。「―を晒(さら)す」
くろうど くらうど 2【蔵人】 〔「くらひと」の転〕 ① 蔵人所の役人で,機密の文書・訴訟をつかさどった令外(りようげ)の官。のちには,天皇の衣食・起居のことから伝宣・進奏・諸儀式,その他宮中のいっさいのことを扱った。院・摂家にも置かれた。くらんど。くらうど。 ② 宮中の雑事に奉仕する女官。女蔵人(によくろうど)。
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藤原惟規-高杉真宙
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乙丸-矢部太郎
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いと-信川清順
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藤原道綱-上地雄輔, 外腹の子(そとばらのこ)
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百舌彦-本多力
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藤原公任-町田啓太
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藤原行成-渡辺大知
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藤原道長-柄本佑
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源雅信-益岡徹、左大臣
つちみかどどの 【土御門殿】 平安京の東,土御門の南,京極の西にあった藤原道長の邸。京極殿(きょうごくどの0。
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藤原頼忠-橋爪淳、関白
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藤原義懐-高橋光臣、花山天皇の叔父、権の中納言(読み)ごんのちゅうなごん
じん‐の‐さだめ【陣定】ヂン‥ 陣座じんのざで行う政務の評議。じんじょう。
か‐たつ【下達】上の者の意志や命令を下の者に通すこと。「上意―」
より‐まし【寄×坐/憑=子/尸=童】《神霊の「寄り坐し」の意》修験者や巫子が神降ろしをする際に、神霊を乗り移らせる童子や人形。
つかみかか・る 5【摑み掛かる】相手に激しく組みついて行く。「物も言わずに―・る」
- 藤原道兼-玉置玲央
みまか・る 3【身罷る】この世から罷(まか)り去る意〕 死ぬ。死去する。「若くして―・る」「あひ知りて侍りける人の―・りける時に」〈古今和歌集•哀傷・詞〉
- 源倫子-黒木華