2025年1月8日 5時00分
「助けて」と言えますか
ああ、困ったなあ、と思ったとき、あなたは「助けて」と誰かに言えるだろうか。一人ではもう、どうしようもない、と感じたとき、「手伝って(てつだって)」と声に出せるだろうか。そんな何かを頼む力を表す「受援力(じゅえんりょく)」という言葉がある▼「私も、弱みを見せること、弱音をはくというのは、すごく勇気のいることでした」。医師で、神奈川県の県立保健福祉大教授、吉田穂波(よしだ ほなみ) さん(51)は話す。「プライドとか、自尊心とか、誰でもありますよね」▼6人の子どもの母親として、多くの人に助けてもらってきた。ありがたさは痛感している。でも、だからこそ思う。誰でも困った立場になれば、すぐに救いを求めることができる社会であってほしいと▼衝撃を受けたのは、東日本大震災のときだった。支援に駆けつけた避難所で、妊婦(にんぷ)の被災者から申し訳なさそうに言われた。「私なんか、命があっただけましです。どうか他の人を助けてあげてください。私はいいんです」▼人間とは限界近くまで窮すると、かえって誰かに頼れなくなるものなのか。助けてと口にすると、その瞬間、頑張っていた何かがポキリと折れてしまうからだろうか。以来、吉田さんは自著や講演で頼む力の大切さを呼びかけている。「頼ることは相手を信頼し、尊敬する証しです」▼受援力。「私なんか」とつぶやく人の励ましになるなら、そんな言葉も確かにいい。重い障害があった俳人の新年の一句(いっく)が頭を過る(よぎる)。〈初鴉「生きるに遠慮が要るものか」〉花田春兆( はつがらす「いきるにえんりょがいるものか」〉はなだしゅんちょう)。