2025年4月7日 5時00分
森は海の恋人
「森は海の恋人」。この魅力的なフレーズほど、畠山重篤(はたけやま しげあつ)さんの活動を見事に示すものはない。宮城県でカキを養殖する漁師でありながら、45歳で植樹(しょくじゅ)を始めた。カキを育む(はぐくむ)海の養分は川がもたらす。ならば水源の森を豊かにしなくては。大漁旗(たいりょうばた)を掲げてブナなどを植えた▼手探りの活動は間違っていなかった、と思えたのは9年後だ。リアス海岸という名が生まれたスペインを訪れ、そこでも「森は海のおふくろ」と言うのだと知った。教えてくれたムール貝の漁師と思わず握手した。著書『リアスの海辺(うみべ)から』には、その時の感動が詰まっている▼髭もじゃ(ひげもじゃ)の「カキじいさん」であり、海の生命の輝きを伝えるエッセイストであり、長靴(ながくつ)を履いた教授でもあった。畠山さんが81歳で亡くなった▼東日本大震災の津波で多くを失いながらも植樹を続け、その数は約5万本にのぼる。36年にわたる活動で海は変わった。だが一番の変化は人の気持ちだ、と書いている。「漁師が山に木を植えるということは、人の心に木を植えることでもありました」。試みは各地に広がった▼希望を忘れず、信念に従って、己の出来ることを一つずつ積み重ねる(つみかさねる)。その姿勢に、かの有名な言葉を思い出す。明日世界が滅びるとしても、今日わたしはリンゴの木を植える――▼植樹した木々は枝を広げ、湾内には藻が茂り(そうがしげり)、かつて活動に参加した子どもは大人になった。山に、海に、心のなかに。畠山さん、大きな大きな森をありがとうございました。
畠山 重篤(はたけやま しげあつ、1943年10月7日[1] - 2025年4月3日)は、日本の養殖漁業家、エッセイスト、京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授。「牡蠣の森を慕う会(現「特定非営利活動法人森は海の恋人」)」代表。