2023年7月20日 5時00分

「またミサイル」の怖さ

 きのうは早朝、スマホの通知で知った。その前はテレビ画面の上部に速報が流れた。自宅でJアラートが鳴り、興奮してほえる飼い犬を抑えるのに苦労したこともある。いずれも最近、北朝鮮が弾道ミサイルを発射した際の話だ。またかと思う緩みを自省(じせい)した▼25年前の夏、北朝鮮が初めてテポドンを発射したときの衝撃は大変なものだった。緊急事態を知らせるガンガンという音が社内に響き、編集局が騒然となったのを思い出す。小欄も「あまりにむちゃくちゃなやり方である」と、驚きと怒りを率直に伝えた▼以来、発射は繰り返された。今年2月現在の防衛省データでは、この10年で150発を超えた。昨年だけで59発。短距離から大陸間弾道ミサイルと、技術面の向上もうかがえる▼6年前の朝日川柳(せんりゅう)には〈飛翔(ひしょう)体だんだん慣れる怖さかな〉とある。立て続けに発射されたころで、慣れてきた様子がわかる。現在の頻度(ひんど)では、緊張が緩むのは仕方ないのか▼キューバ危機のころ20代だった劇作家の寺山修司(てらやま しゅうじ)が、ミサイルを論じている。日本人はミサイルを概念的にしかわかっておらず恐怖にも慣れがちだ。すると行き着く先はこうなる。「一億人が声をそろえて叫ばなければならない時がやってくるであろう。『狼(おおかみ)が来た! 狼が来た!』」(『時代のキーワード』)▼どんな状況にも慣れるのは人間の性(じんかんのさが)だ。一方で、かつてないほどミサイルが発射されているのも現実である。「またミサイル」の怖さを心に留めておきたい。