2023年9月4日 5時00分

田中正造と秘密投票

 いまでは、いささか想像しがたいことだろう。明治の時代、この国で初めての衆院選が行われたときのことだ。有権者は投票用紙に自らの住所と氏名を明記したうえで、捺印(なついん)もする必要があった。秘密投票の権利など、まるでなかったわけである▼後にこれを改め、無記名投票とする改正法案が議会に出された。意外に思う方(おもうがた)もいるかもしれないが、法案に反対した議員の一人が、足尾銅山(あしおどうざん)の鉱毒事件(こうどくじけん)で民衆の先頭に立って闘った、田中正造(たなか しょうぞう) だった▼理由は何か。正造が常々嘆いて(なげいて)いたのは、人々の政治への無関心さだった。「国民が監督を怠れば(おこたれば)、治者(ちしゃ)は盗(とう)を為(な)す」。名前を記すことで、有権者に投票への「責任」の意識を強く持ってもらうべきだ、と正造は主張した(小松裕(こまつ ゆう)著『田中正造』)▼記名投票には頷けない(うなずけない)が、正造はそれほどまでに国民の政治参加の意義を重く考えたのだろう。「個人の幸福は集まって国家の利益となる」。そんな言葉も残している▼足尾銅山の閉山から半世紀。きょうは正造の没後(ぼつご)110年である。その歴史は「最悪の公害」とさえ言われる福島の原発事故と、その後の原発再稼働の動きとも重なって見える。国益(こくえき)の名の下、個の暮らしの安全が蔑ろ(ないがしろ)にされてはならない▼「真の文明は山を荒らさず(あらさず)、川を荒らさず」。正造の至言(しげん)は時代を超え、輝きを増す。私たちは、しかと政治に参加しているか。政治家任せ(まかせ)にはしていないか。残暑厳しき(ざんしょ きびしき)初秋(しょしゅう)の日、不屈(ふくつ)の人の声が低く(ひくく)、聞こえた気がした。