2023年9月5日 5時00分
辺野古埋め立てで沖縄敗訴
沖縄県の大田昌秀(おおた まさひで)知事が、最高裁で読みあげる意見書を仕上げたのは、開廷の2時間前だった。司法への期待ゆえだろう。草案に筆を入れつづけ、原稿用紙で173行に及んだ。1996年の米軍基地をめぐる代理署名訴訟(そしょう)でのことだ▼沖縄の歴史を、明治政府による琉球処分(りゅうきゅうしょぶん)にさかのぼって説き、「地元の意志に反して、中央政府の政策が優先的に強行されるありようが、その後も一貫してみられました」と述べた。判決は知事の敗訴だった▼「私は、司法における正当な判断を期待しすぎていたのかもしれない」。著書『沖縄の決断』に残る大田氏のさみしげな述懐(じゅっかい)を、いま何とも言えぬ気持ちで読み返している。名護市辺野古(なごし へのこ)の埋め立て(うめたて)をめぐる訴訟で、最高裁は県の訴えを退けた(しりぞけた)▼県による「埋め立て不承認」の内容についても、沖縄の米軍基地の現状についても、判決は一切触れていない。結果は予想されたとはいえ、あまりの冷淡ぶりに驚く▼沖縄の基地負担の重さに本土が目を開くきっかけとなった少女暴行事件が起きたのは、95年のきのう9月4日だった。いや、本当に目を開いたと言えるだろうか。沖縄は当時から「基地は全国で負担すべきである」と訴えてきた。だが事件から28年たっても、米軍専用施設の7割が沖縄に集まる構図は変わらない▼行政・立法・司法という壁に幾重にもとり囲まれて、これまでも願いがかなう兆しは見えなかった。また一枚、その壁が加わった。沖縄の人々とともに、壁の前に立つ。
大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉6月12日)は、日本・沖縄の政治家・社会学者。元沖縄県知事(2期)、元社会民主党参議院議員(1期)。琉球大学名誉教授。特定非営利活動法人沖縄国際平和研究所理事長。沖縄県島尻郡(しまじりぐん)具志川村(ぐしかわそん)(現・久米島町(くめじまちょう))出身[4]。