2023年9月8日 5時00分

京アニ事件の裁判

 過激派が、敵の潜む(ひそむ)アパートを吹き飛ばそうと企てる(くわだてる)。手塚治虫(てづか おさむ)の代表作『ブラック・ジャック』の一編(いっぺん)だ。関係ない住民を巻き込んでも仕方ない、と若いリーダーは言い放つ。だが地下で準備中に爆弾(ばくだん)は暴発(ばくはつ)。自身大怪我(じしんおおけが)を負って生死を彷徨う(さまよう)。「死ぬのはいやだ」▼他人は死んでも平気だが自分は嫌なのかね――。呆れ返りながら(あきれかえりながら)腕をふるう天才外科医(げかい)のおかげで、リーダーは意識を取り戻す。周りで見守るのはアパートの老若男女(老弱だんじょ)たち。己の愚かさ(おのれのおろかさ)に気づき、リーダーは嗚咽(おえつ)する▼死の淵に立って初めて命の重さを知ったのか。この男も「二度と声が出ないと思った」と、病院で涙を流したのだという。京都アニメーション放火殺人事件の青葉真司(あおば しんじ)被告である。まき散らしたガソリンで大やけどをしたが、医師たちの懸命の努力で救われた▼ならば、その取り戻した声で、告げるべきことがあるのではないか。遺族や被害者への謝罪のことばである。それが、過ちを犯した人間に出来る、せめてもの償い(つぐない)の一歩だ▼だが、きのう始まった被告人質問でも、その場面はなかった。5日の初公判では起訴内容を認めたうえで、消えいるような声で「やりすぎだった」と述べた。裁判まで4年という歳月を経て、たどりついた思いがそれなのか▼被害者は亡くなった方々だけで36人。公判は来年1月まで続き、遺族の意見陳述もある。踏み躙った(ふみにじった)一つひとつの命に青葉被告が向き合い、己の愚かさ(おのれのおろかさ)に気づくことを願ってやまない。