2023年9月12日 5時00分
色あせた「想定外」
便利にくり返し使われて、すっかり色あせた感が強い表現に「想定外」がある。元々は率直な驚きを伝える強さをはらんだ言葉だったと思う。でも、もはや言い訳に聞こえる場面も少なくない。ときとして辟易(へきえき)とした気分にもなる▼先週の台風で、茨城県日立市の庁舎が浸水し、停電した。災害に強い建物として新築されていただけに、市長いわく「想定外の出来事でありました」。申し訳ないと思いつつも、正直言って、ああ、またかと感じてしまった▼想定外で思い出すのは、東日本大震災の衝撃の大きさを強く印象づけたことだ。ただ、原発事故での責任を問われた東電の旧経営陣は、この言葉を裁判でも多用した。結果的に、そのことが免罪符の響きを生じさせたように思えてならない▼以来、私たちはいかに多くの想定外を耳にしてきたことか。異常気象が続発するなか、仕方がない面はあるだろう。だが、政治や行政に必要なのは、専門家の予測をふまえたうえで、想像する力である▼災害の話ではないものの、先月の農林水産相には驚いた。原発事故の処理水の放出に対する中国の禁輸措置を「全く想定していなかった」とは……。その発言自体が想定外だ、と言いたくなった方もさぞ多かったろう▼以前の本紙の投書欄には、想定外と逃げるのは、政治家の資質がないと自ら認めるようなものではないか、との厳しい意見が載っていた。ひとびとの安全な暮らしを守る立場の人には、安易に使って欲しくない言葉である。