2023年9月1日 5時00分
子どもたちの関東大震災
夏休みが終わって最初の登校日(とうこうび)だった。腹ぺこで帰宅し、昼食を食べていたら――。関東大震災は、東京の尋常小学校に通う子どもたちの日常も一変させた。翌年に出版された『震災記念文集』を読むと、つらい体験の数々に胸が詰まる。飾りがなくつづられた分、恐怖の強さが際立つ(きわだつ)▼尋常小1年の女の子は広がる炎から逃げ込んだ先の惨事を書いた。「オマハリサンガイケニハイレトイツタノデ、ミンナイケニハイリマシタ。ソレデサキニハイツタモノハシタニナツテシニマシタ(おまはりさんが池に入れといつたので、みんな池に入りました。それでさきに入っていたものは死にました。)」。母と兄姉(あにあね)を失った▼約3万8千人の犠牲者が出た旧陸軍被服廠(きゅうりくぐんひふくしょう)跡地では、炎の竜巻(たつまき)と呼ばれる旋風(せんふう)に襲われた。「ツムジカゼガキタトキコロガツテシマヒマシタ(つむじ風がきた時、心が冷たくてしまいました。)」(1年女子)。「あたまの上を火柱(ひばしら)がぐるぐるまわっています。そこいら中(そこいらちゅう)いっぱい人が死んでいました」(3年男子)▼学校が復興する過程もわかる。屋外からテント、バラックへ移行し、給食も始まった。「わたくしはしちゅーがすきです。中のにんじんがきらいです」(3年女子)▼文集ができたきっかけは、大震災の半年後に東京市が開いた展覧会だ。図画(ずが)などの展示物(てんじもの)から、作文だけを学年別にまとめた。著作や講演で紹介している東京学芸大名誉教授の石井正己(いしい まさみ) さんは「非常に個人的で、統計からは漏れるが、事実の強さがある。語り継ぐべき貴重な記録だ」と話す▼大震災では10万人以上が亡くなった。生き延びた子どもたちが残した言葉からは、一人ひとりの顔がみえる。
関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒(11時58分31.6秒、日本時間、以下同様)に発生した関東大地震によって南関東および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害。死者・行方不明者は推定10万5,000人で、明治以降の日本の地震被害としては最大規模の被害となっている。