2023年9月29日 5時00分
ノーモア水俣(みなまた)
水俣病患者の歴史とは、病気との闘いであると同時に、未認定をめぐる闘いでもある。のちに国やチッソ(Chisso Corporation)などと対峙(たいじ)する川本輝夫(かわもと てるお)さんは1968年、患者認定のための検診を受けた。医者が言う。「今ごろおかしいよ」「筋肉はピクピクしてないじゃないか」(石牟礼道子((いしむれ みちこ)著『天の魚』)▼まるで詐病扱い(さびょうあつかい)だった。患者たちの間ではこんな冗談が飛び交った(とびかった)という。「水俣病になろうたっちゃ、難しかっばい。ずらーっと並んだ偉か先生の試験に合格せんば」。認定行政の偏狭(へんきょう)ぶりは、ふるい落とすための試験と映った▼水俣病が公式に確認されて67年。救済の対象を限定して幕を引こうとする流れに、患者たちは抗い続け(あらがいつづけ)、少しずつ間口(まぐち)を広げてきた。ようやくたどり着いた判決だろう。ノーモア・ミナマタ2次訴訟で、大阪地裁は原告128人全員を水俣病と認め、国などに賠償を命じた▼住んでいた地域や年代で線引きする特措法(とくそほう)の運用に、判決は疑問を投げかけている。このところ国を相手どった訴訟での司法判断には、がっかりさせられることが続いたが、久しぶりに明快だった▼会見に臨んだ原告らの目には光るものがあった。あれは、喜びとこれまでの苦難のまじり合った涙だろう。病気で震えながらマイクを握る手。目が離せなくなった▼国の対応次第では、今後も困難は続くかもしれない。けれど今宵(こよい)ぐらいは、勝利の祝杯(しゅくはい)に酔っていただきたい。きょうは中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)。あの不知火の海(しらぬひのうみ)も黄金色(こがねいろ)の輝きに映えるだろう。
- 熊本水俣病
- 水俣病(みなまたびょう)とは、熊本県水俣湾周辺の化学工場などから海や河川に排出されたメチル水銀化合物(有機水銀)により汚染された海産物を住民が長期に渡り日常的に食べたことで水銀中毒が集団発生した公害病である。