2023年5月20日 5時00分
原爆はどこに落ちたのか
あの原爆はいったい、どこに落ちたのだろうか――。雨空(あまぞら)の広島できのう、G7各国の首脳たちがそろって平和記念資料館に訪れる(おとずれる)映像を見ながら、そんな問いが頭に浮かんで、消えない▼原爆はどこに落ちたのか。それは日本に落とされた。過ちに満ちた苦難と惨禍を経て、78年前、もう二度と戦争はごめんだと誰もが思った。その国でいま、安全保障政策の大転換が進む。専守防衛の原則さえが揺らぐ現状を、どう考えるべきなのか▼原爆はどこに落ちたのか。それはアジアに落ちたとも言える。ところが、隣国を見渡すとき、そうした認識の共有は残念ながら見えない。北朝鮮の危うい挑発はやまない。中国は急速な軍拡を進めている▼原爆はどこに落ちたのか。それは世界に、この地球に落ちたのだ。それなのに、いま聞こえてくるのはロシアによる露骨(ろこつ)な核の脅し(おびやかし)である。核を持つ国々はいずれも、何ら軍縮に踏み込めていない。バイデン米大統領もオバマ氏と同じく「核のボタン」を広島に持ち込んだのだろう。現実は重く、厳しい▼サーロー節子さんが、本紙で語っていた。核をめぐる議論で大切なのは「人間というものを中心に持ってこないといけない」とする考え方だと。ひとの命の尊さ(とおとさ)を顧みない(かえりみない)ような核政策は「狂気の沙汰(きょうきのさた)」なのだと▼「核なき世界」は必ずや実現する。現実を直視しつつも、理想を掲げ続けたい(かかげ続けたい)。きのう慰霊碑(いれいひ)の前で黙祷(もくとう)した首脳たちは、しかと心に刻んだろうか。原爆は、広島に落とされた。
サーロー 節子(サーロー せつこ、英語: Setsuko Thurlow、1932年1月3日 - )は、広島県広島市南区出身でカナダのトロント市在住の被爆者、反核運動家。セツコ・サーローの日本語表記もある。