2023年8月9日 5時00分

石を置く

 手のひらほどの白い石に、黒い文字が記されていた。〈私はディック・ヘイン 1912―1945〉。今年5月、長崎原爆資料館の前で外国人捕虜(ほりょ)を追悼する記念碑(きねんひ)の除幕式(じょまくしき)が行われた。平和、友情、自由と刻まれた碑の上で献花(けんか)に埋もれる(うもれる)ように、その石があった▼置いたのは、オランダ人のアネッテ・スペイヤースさん(57)だ。祖父ヘインさんは、オランダの植民地だったインドネシアで働いていた。現地で招集(しょうしゅう)されて日本軍の捕虜になり、長崎市内にあった福岡俘虜収容所(ふりょしゅうようしょ)の第14分所へ送られた。終戦の5カ月前に肺炎で亡くなった▼アネッテさんの母親はヘインさんの娘だ。86歳のいまも健在だが、高齢で訪日はかなわなかった。このため、ヘインさんの名を記した石を置いてほしいとアネッテさんに託したという▼第14分所は爆心地から1・7キロにあった。原爆投下時には約200人の捕虜がおり、8人が犠牲になった。赤痢(せきり)や肺炎などで終戦までに亡くなったのは100人を超える。戦後70年のころ、第14分所の追悼碑を建てようと遺族らが呼びかけ始めた▼日本側で奔走した朝長万左男(ともなが まさお)さん(80)は、2歳で被爆した。原爆は敵味方を選ばず、その地にいた者を殺し傷つけた。折り鶴を施した(ほどこした)記念碑に「核兵器は必ずなくさなければいけない」との思いを新たにしたという▼山に墓前(はかまえ)に、人は太古の昔から石を置いてきた。道標(どうひょう)や慰霊(いれい)、連帯などを意味すると考えられている。78年分の思いを込めた石が、長崎に置かれた。