2023年8月17日 5時00分

戦後はいつ始まったのか

戦後はいつ始まったのか。8月15日を境にして、というのがもちろん一つの答えであろう。皇居前広場(こうきょまえひろば)で人々は涙を垂れ(たれ)、家のランプから灯火管制の黒い布が取り去られる。戦時から戦後へ。死の恐怖から逃れ、暮らしも価値観も一新されたイメージだ。だが、ことがそう単純であるはずがない▼「日本無条件降伏ノ状況ラジオニテ一般ニ聴取サス」。沖縄・久米島(くめじま)でも玉音放送は15日に流れた。当時の警防団の日誌(にっし)に記されている。惨劇は、そのあと起きた▼山中(やまなか)に潜み続けて(ひそみつづけて)いた日本軍は18日、島民の仲村渠明勇(なかんだかり めいゆう)さんと妻、1歳の子を殺し、家もろとも焼いた。すでに捕虜になっていた仲村渠さんが「米軍は危害を加えない」と、住民に投降を呼びかけていたのをスパイと決めつけた。非道のかぎりである▼北に眼(め)を転ずれば、22日には樺太(からふと)からの引き揚げ船がソ連に攻撃された。犠牲者は約1700人。遺体が北海道に流れ着いた(ながれついた)。満蒙開拓団(まんもうかいたくだん)、シベリア抑留者。はたして「戦後」はいつ始まったのか▼〈戦争が廊下の奥に立つてゐた〉。渡辺白泉(わたなべ はくせん)の有名な句だ。気がついた時には、それは驚くほど身近に迫っている。急速に膨らんで、あらゆるものを破壊する。そして、過ぎ去った後もすぐには混乱が収まらない。陳腐な(ちんぷ)たとえだが、戦争とは嵐のようなものだ▼いわゆる「戦後」にも、多くの命が失われたことを忘れたくはない。白泉はこうも詠んでいる。〈玉音を理解せし者前に出よ〉。久米島の兵に聞かせたい一句である。