2023年8月20日 5時00分
1965年のパラドックス(paradox)
その「18歳の少女」は聴衆(ちょうしゅう)の心を鷲掴み(わしづかみ)にしたらしい。1965年8月15日、東京で開かれた集会で泣きながらこう語った。私には何もわからない。でも、罪のない子どもたちが殺されるのが我慢できない。平和しか知らない現代っ子に、戦争の惨たらしさ(むごたらしさ)をもっと知らせてほしい▼戦後20年の節目に加え(くわえ)、ベトナム反戦で平和運動が盛り上がった時代だ。文化人や市民団体が様々な集会を開くなか、大学生の「一気に噴き出すような爆発的な感想の洪水(こうずい)」は新鮮な驚きと感動を呼んだ。手ぬぐいで涙をふく人もいたという(『現代タレントロジー』)▼同じ集会で彼女の後に一般席から立ち上がったのは、政治学者の丸山真男(まるやま まさお)だった。「個人的な話をすることは、私の個人的な趣味(しゅみ)に合わないが」と前置きをして語り始めた。その体験談に聴衆はまた驚くことになる▼母親は終戦の日に亡くなった。自分は当時、広島・宇品(うじな)の陸軍船舶(せんぱく)司令部にいて死に目に会えなかった。原爆投下時は約4キロのところにいたが、高塔が爆風を遮った(さえぎった)ために生き残った。爆心地近辺(きんぺん)を彷徨い歩いた(さまよいあるいた)▼丸山が被爆体験を公言したのは初めてだった。96年に亡くなるまで著作(ちょさく)にも残していない。講演録は後に『二十世紀最大のパラドックス』と題されたが、メモをみるとある程度の準備はしていたようだ。でも、なぜ急に語る気になったのだろう▼毎年8月になると、聞いてみたかったと思う。あの日、同じ場所にいた真っ直ぐ(まっすぐ)な若者のことを。