2023年8月21日 5時00分

像に重ねた父の顔

 盛夏(せいか)の長崎に、日本二十六聖人(せいじん)殉教記念碑(じゅんきょうきねんひ)を訪ねた。426年前、秀吉の禁教令で26人が処刑(しょけい)された地だ。急な(きゅうな)坂道を上ると、殉教者のブロンズ像(ぞう)が並ぶ記念碑が見えた。一番右がフランシスコ吉(きち)。京都の大工(だいく)で、長崎への道中(どうちゅう)に自ら望んで殉教者に加えられた(くわえられた)と伝わる(つたわる)▼つくったのは戦後を代表する彫刻家の(ふなこし やすたけ)で、1962年の完成まで4年半をかけた。文献を調べ、芸術家生命を賭ける覚悟で没頭(ぼっとう)したという。「断腸記(だんちょうき)」と題した随筆(ずいひつ)で、フランシスコ吉への特別な思いを書いている▼この聖人像には20番目に取り組んだ。完成したとき、30年前に亡くなった自分の父に顔が似ていると気づいて涙が流れたという。岩手出身の熱心なカトリック信者だった父に、生前は激しく反抗した。その罪悪感と悼む(いたむ)心が、像を似せたのではないかと自己分析している▼なぜフランシスコ吉だったのだろう。炎天下で汗をふきつつ、右端(みぎはし)の像を眺めて考えた。手を合わせて祈る(いのる)表情は、どこまでも穏やか(おだやか)だ。後から追加されたという特殊な事情が作り手の心に残ったのか▼舟越の長女の末盛千枝子(すえもり ちえこ)さん(82)は、作品を送り出した後の光景を覚えているという。「がらんとしたアトリエで、父が母の着物にエニシダの絵を描いた。除幕式で着られるようにと。心血注いだ特別な作品でした」▼舟越が亡くなったのは21年前の2月5日で、聖人の処刑日と同じだった。長崎では毎年その日、殉教記念ミサのために多くの人々が記念碑の前に集う(つどう)。