2023年6月2日 5時00分
将棋の神様への捧げ物
名人戦で勝てるのは、名人になるべき者だけである。名人とは「将棋界全体が選んだ、将棋の神様への捧げ物」(河口俊彦八段(かわぐち としひこ、1936年11月23日 - 2015年1月30日))であるのだから――。そんな不可思議な名言がいくつも存在するぐらい、将棋界における名人のタイトルは特別な意味を持つものらしい▼藤井聡太(ふじい そうた、2002年〈平成14年〉7月19日 - ))・新名人の誕生である。史上最年少であり、七冠という偉業の達成でもある。私たちはいま、歴史に刻まれるべき、藤井時代を見ているのだと痛感する▼きのうの対局後の感想戦が、何とも印象深かった。互い(たがい)に自らの一手一手を考え直しながら「桂は考えてなかった」「歩を打つとか」「あっそうか」。熱戦の直後とは思えぬ、穏やかなやりとりが30分以上も続いた。極限(ごくげん)まで考え抜き、無言(むごん)の対話を続けた2人だからこそ、わかり合える世界があるのだろう▼「感想戦は敗者のためにある」。新名人の好きな言葉だという。勝者(しょうしゃ)は喜びを露わに(ああら)せず、未見の最善手を追求する。敗者は悔しさをぐっとこらえ、失敗からの学びを次につなげようとする。それは将棋というゲームの深みである▼昔は3時間に及ぶ感想戦もよくあったというから驚く。昭和の名人、升田幸三(ますだ こうぞう)は鬼手(おにて)を胸中(きょうちゅう)に秘めて局後の検討を楽しんだ。十五世名人の大山康晴(おおやま やすはる、1923年(大正12年)3月13日 - 1992年(平成4年)7月26日)は、感想戦では「どんなことでもいえる」と言い放っていたとか▼新名人はタイトルの奪取に緩むことなく、さらなる高みを目指す。いったいどこまで強くなるのか。「捧げ物」を受け取る神様も、さぞ楽しみに違いない。
文藝春秋 勝又 清和 2023/05/2
「リアクションしてくれないのね…」藤井聡太以前、以後で将棋は変わった 果たして“史上最年少名人”は誕生するのか プロが読み解く第81期名人戦七番勝負
衝撃的な結末だった。攻めをつなげる技術では棋士ナンバーワンの渡辺明(わたなべ あきら)名人の攻めが、中盤で切れてしまった。手数わずかに69手、夕食休憩前に投了に追い込まれてしまった。
5月21・22日に福岡県飯塚市の「麻生大浦荘(あそう おおうらそう)」で行われた、渡辺明名人に藤井聡太竜王が挑戦する第81期名人戦第4局は、なぜこういう結果となったのか? 私は現地には行けず、ABEMAや携帯中継でずっと追っていた。その代わり、立会を務めた深浦康市((ふかうら こういち)九段と、記録係を務めた石川優太五段にお話をうかがったので、2人の視点を交えながら解説しよう。
- 渡辺明
藤井は昼食休憩を挟んで98分の大長考
さて戦型は、後手(ごて)の渡辺が角道を止めて雁木(がんぎ)に。対して先手(せんて)・藤井は囲いに手をかけず急戦の構えに。第72期王将戦七番勝負第3局と似た進行で、その将棋では後手の羽生善治((はぶ よしはる、1970年9月27日 - ))九段が、中央に銀を2枚並べて守備的な布陣をしいた。
だが、渡辺は素早く右桂を跳ね出して攻撃的な布陣にする。玉の移動も右銀の活用も捨て、打ち合いに持ち込むと決断したのだ。
藤井にとって雁木は予想通りでも、攻撃的な構えでくるとは想定外だったのか、1日目の午前中で動かなくなった。昼食休憩を挟んで98分もの時間を使った。大長考のすえ飛車を浮く。前述の王将戦でも藤井が指した手で、羽生がもっとも感心したという一着だ。しかし、カウンター狙いの陣形に対して指してもいいのだろうか? 藤井の銀に対し渡辺の桂では、攻めの速度が違うのではないか。玉の位置も不安定だし、前例通り飛車は下から狙ったほうがいいのではないか、と私は思った。
- きしゅ 1【鬼手】 囲碁・将棋で,思いもよらないねらいを秘めた手。