2023年6月4日 5時00分
普賢岳火砕流(ふげんだけかさいりゅう)から32年
「安全な場所からお伝えして(おつたえして)います」。浸水や土砂崩れ(どしゃくずれ)などの様子を伝えるテレビ中継で、こんな言葉を聞くようになったのはいつからだろう。各地に爪痕(つめあと)を残した今回の豪雨(ごうう)でも、やはり耳にした▼災害の現場に近づこうとするのは、記者の業(ごう)である。行かねば(ねば ,if not ...; unless ..)何が起きているのか分からない。しかし危険の大きさを見誤れば(みあやまれば)、自分も被災者になってしまう。難しい綱渡り(つなわたり)をしようとするとき、メディアが忘れてはならない痛恨事(つうこんじ)がある▼長崎県の雲仙(うんぜん)・普賢岳(ふげんだけ)。1991年のきのう、43人が火砕流(かさいりゅう)にのみ込まれて犠牲となった。うち16人が報道関係者である。一帯に避難勧告が出た後も、山がよく見える「定点」と呼ばれた場所に止まって(とどまって)いた。その対応にあたった消防団員12人とタクシー運転手4人らが巻き添え(まきぞえ)になった▼地元の雲仙岳災害記念館には、高熱で溶けた三脚やカメラが並んでいる。先日訪れると、地元の方だろうか、高齢の2人連れ(ふたりづれ)がいた。「マスコミさえいなければ、犠牲者はもっと少なかった」。本音だからこそ、囁き声(ささやきごえ)だったのだろう。身の置きどころがなかった▼災害現場や紛争地では、公的機関(こうてききかん)が決めた線引き(せんびき)を越えて取材しなければならないことはある。ただ、報道の自由が市民の犠牲のうえに成り立つものであってはならない。重い教訓である▼記念館から「定点」に向けて車を走らせた。この道を記者たちはたどったのか。この空を巨大な噴煙が覆ったのか(おおったのか)。普賢岳がぐんぐんと迫ってきた。