2023年11月12日 5時00分
ある映画人の訃報
世界中を訃報(ふほう)が駆け巡ったこの週末、映画人たちが悲しんでいる。パリを拠点に長く各国のアート系映画を広めてきたヘンガメ・パナヒさんが、闘病(とうびょう)の末に亡くなった。享年(きょうねん)67。日本映画が1990年代後半から再評価されたのは彼女に負う(おう)ところが大きい▼世界での配給権を売買する会社を創設し、多くの才能を見いだした。社名のセルロイド・ドリームズは、ヒッチコックがフィルムの材質にかけて仲間を「セルロイドの商人(しょうにん)」と呼んだのにちなむ。作家性の高い作品を好み、カンヌなど主要な映画祭の幹部らの信頼も厚かった▼パリで彼女に会ったのは14年前。「裏方(うらかた)に徹し(てっし)、取材は受けない主義」だと言いつつ、2日で7時間も語り続けた。イラン出身で革命前に欧州へ移住した生い立ち(おいたち)や、中東やアジアで優れた監督を見つける喜びも▼日本映画を愛した。溝口健二(みぞぐち けんじ)ら巨匠を尊敬し、新たな時代の到来も予見した。独自の審美眼で北野武(きたの たけ)さんをはじめ、是枝裕和(これえだ ひろかず)さん、河瀬直美(かわせ なおみ)さんらの作品を世界へ送り出した▼27年前に初めて北野作品を見せたのは、ユーロスペース代表の堀越謙三((ほりこし けんぞう)さん(78)だった。「彼女の剛腕なしでは、日本映画の復興はなかった」と惜しむ。入念に海外戦略を練り、97年のベネチア国際映画祭へ送り出した「HANA―BI」は金獅子賞(きんじししょう )に輝いた▼パリの事務所では、六つの時計が別々の時を刻んでいた。東京か、ニューヨークか、シドニーか。彼女の鋭い視線はいま、どこで映画を探しているだろう