2023年11月30日 5時00分
「世界の記憶」とヒロシマ
GHQは戦後、原爆をめぐる報道や出版(しゅっぱん)に神経を尖(とが)らせた。〈原子爆弾に倒れほろびし焼跡に人骨(じんこつ)の燐もえたり(りんもえたり)といふ〉佐々木聰(ささき さとし)。こんな短歌さえ、公安を妨げる(さまたげる)としてプレスコード違反とされた。(堀場清子(ほりば きよこ)著『原爆 表現と検閲』)▼朝日新聞も命令をうけて、原爆関係のフィルムを焼却することにした。だが上司に逆らった(さからった)写真記者がいる。終戦時31歳だった宮武甫(みやたけ はじめ)。大阪・天王寺の小さな長屋にネガを持ち帰り、縁の下にそっと隠した▼被爆直後の広島を訪れ、自ら写した119点が残る。包帯で顔をぐるぐる巻きにされた少女、丸こげになった路面電車、原子野をゆく人影……。光景は「私の眼底(がんてい)に焼きついたままである」と後に語っている▼この宮武ネガを含む広島原爆の写真など1534点を、政府がユネスコの「世界の記憶」に推薦することになった。忘れてはならない過去である。核の惨禍(さんか)がを二度と繰り返さない。政府は未来のために、記録の意義を認めたのだと信じたい▼ただ残念ながら、そう言い切れぬ悲しさがある。ニューヨークで開かれている核兵器禁止条約の第2回締約国会議。政府はオブザーバー参加すらしていない。登壇した広島の湯崎英彦(ゆさき えいひこ)知事は、赤道ギニアの代表から問われた。「なぜ核廃絶を唱えながら、(日本は)核抑止政策を支持するのか」▼かつて朝日歌壇にこんな歌が載った。〈核兵器禁止条約に署名せぬ国にヒロシマ・ナガサキはある〉菅谷修(すがたに おさむ)。世界の目も市民の目も節穴ではない。