2023年12月5日 5時00分
アフガニスタンはいま
静岡県の島田市に住む医師、レシャード・カレッドさん(73)が日本に留学に来たのは、1969年のことだった。故郷アフガニスタンの友人たちは不思議がったという。フランス留学の試験にも受かったのに、なぜ、日本に行くのかと▼「私はね。この目で見て、感じたかったんですよ」。レシャードさんは振り返る。戦後、わずか20年で先進国となった地には、どんな努力家がいるのか。二度と戦争を起こさないと誓った国とはいかなるものか。19歳の若者は知りたかったそうだ▼それから半世紀。京大で医学を学び、島田を第二の古里と定めた白髪の医師はいま、少し心配に思っている。日本は、頑張って、頑張って、歯を食いしばって、豊かさを手にした。でも、平和の有り難さを忘れつつありはしないか▼そう思うのは、アフガンの惨状を目にしているからだ。現地に診療所を開き、医療に取り組んできたが、一昨年の米軍の撤退後、多くの国際支援の動きが止まってしまった。送金さえままならない▼技術者らは海外に逃れ、飢餓が急速に深刻化している。「平和は当たり前ではない」。レシャードさんは訴える。日本の人々にも「関心を持ってほしい。まずはそこから」▼きのうで、かの地の復興に尽くした中村哲(てつ)さんの死から、4年。「私は『カネさえあれば何でもできて幸せになる』という迷信、『武力さえあれば身が守られる』という妄信から自由である」。著書『天、共に在り』で断じた言葉が遠く、遠く聞こえる。