2023年12月17日 5時00分

ナチスがした良いこと?

 物事には常に、良い面と悪い面がある。ホロコーストは悪だ(わるだ)が、ナチスはいいこともしたのではないか――。いまの世に燻る(くすぶる)不穏な問いに真っ向(まっこう)から答えた書である。『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』を興味深く(きょうみぶかく)、読んだ▼著者は小野寺拓也(おのてら たくや)、田野大輔(たの だいすけ)の両氏。ナチス研究を長年(ながねん)重ねてきた専門家である。ヒトラーの家族政策やアウトバーン建設(ドイツ•Autobahn ドイツの高速自動車専用道路)を「良いこと」とする考えはなぜ、間違っているのか。いかに一面的な見方に過ぎないか。同書は緻密(ちみつ)な論証で、肯定説(こうていせつ)を退けて(しりぞけて)いる▼歴史の受け止めは、個人の自由である。だが、まずは史実に基づくべきだし、専門家の知見(ちけん)の積み重ねを知らなければ、全体像を見失う。歴史を振り返るときに陥りがちな危うさを、両氏は指摘する▼さて、こちらはどうか。広島市長が、戦前戦中の教育勅語(ちょくご)を研修資料に引用していた。「評価してもよい部分があった」などとし、今後も引用を続けるという▼教育勅語とは、明治天皇が「臣民(しんみん)」に語った言葉だ。核心は、いざとなれば天皇のために命を捧げよと求めていることである。部分的に共感できる表現があったとしても、わざわざ勅語を引用する必要はあるまい。本質を無視するのは何か別の意図があってのことか▼そもそも、あの戦争で私たちは何を学んだのか。どんな思想にせよ、右向け右と、国民が同じ方向を向かされることの怖さではなかったのか。その象徴の一つが教育勅語であった歴史を、忘れるわけにはいかない。