2023年12月19日 5時00分

リクルート事件の一幕

 いつものように粛々と、自民党の国対委員会(こくたいいいんかい)が終わりかけた時だった。1988年の夏。手が挙がった。「連日リクルート事件で大騒ぎなのに、わが党では何の論議もありません。党自ら調査に乗り出し、対策にとりくむべきではありませんか」▼発言したのは、のちに新党さきがけをつくる武村正義(たけむら せいぎ)氏。発言を機に、政治とカネの勉強会を若手でつくった。党幹部や派閥から現金が配られ、領収書を出すと「いらない」と返される。後ろめたかったそうだ。会の提言は党の政治改革大綱(おおづな)につながった。パーティー収支の明確化など、いまも頷ける(うなずける)内容だ▼さて今回の裏金疑惑(うらきんぎわく)である。政治不信が広がり、自民党にとってはリクルート事件以来の危機とも言われる。だが岸田首相は先の会見で、派閥の見直しなどは「議論になることもありうる」と全く煮え切らなかった▼にもかかわらず、あれではだめだ、と改革を促す声が党内の若手からわき起こるわけでもない。気を吐くのは一部の議員だけで、大半はそれにも冷ややかだという▼あちらは、当選回数がものをいう世界だと聞く。とはいえ気概がほしい。国民の代表たる国会議員が、党幹部の顔色ばかりをうかがう駒(こま)では困る▼武村氏の発言は、党内で波紋を呼んだ。著書の『私はニッポンを洗濯したかった』に書いている。「私にいわせれば、波紋をよぶこと自体おかしいのである」。もはやつけ足すことはない。いや一つだけ。武村氏は当時の安倍派の1年生議員であった。