2023年12月21日 5時00分
辺野古の代執行訴訟(だいしっこうそしょう)
沖縄県知事になる前の翁長雄志(おなが たけし)さんが繰り返したのは、国への深い失望だった。2012年のインタビューでのことだ。自民党だけでなく、当時政権にあった民主党も、結局は沖縄に米軍基地を押しつける。「僕らはね、もう(心が)折れてしまったんです。本土(ほんど)の人はみな一緒じゃないの、と」▼矛先は司法にも向けられた。かつて軍用地の使用をめぐって県が国と争い、敗れたことがある。その訴訟が脳裏にあったのか。妻には「裁判所は僕たちの側に立ってくれない」と、吐露(とろ)していたという▼きのうの判決を聞いて、苦悩に満ちた晩年の翁長さんの顔が浮かんだ。遺志をついで知事となった玉城デニー(たまき デニー)氏に、裁判所は辺野古の埋め立て(うめたて)を承認するよう命じた▼国が進める施策について、累次にわたって司法が認める。その事実は重い。重いとはわかりつつ、ここに至るまでの20年以上にわたる沖縄県民の「否」を思えば、なんと冷たい政治であり、司法であることか▼どんなに計画が時代遅れになろうと、どんなに工費(こうひ)がかさもうと、日米安保でいったん国が決めたことには逆らえない(さからえない)。判決が意味するのは、つまりそういうことだ。政府は、中国を念頭に各地で防衛力を強化している。ことは沖縄に限るまい▼辺野古の少し北側に小さな丘がある。そこに立てば、軟弱地盤があるという湾が一望できる。いまはまだ深く青い輝きは、この判決によって消えてしまうのだろう。沖縄の人々の胸の中で、何かが折れる音が聞こえる。
玉城デニーは米国統治下の沖縄、中頭郡与那城村(現・沖縄県うるま市)出身。沖縄の米軍基地に駐留していた米兵の父と伊江島出身の母の間に生まれたアメラジアンである[9]。父の母国である米国に渡航することを前提に母親から「デニス(Dennis)」と名付けられるが、結局母は先に帰国した夫を追うことはなかった。小学校4年生のときに家庭裁判所に申し出て、「康裕(やすひろ)」に改名した。「デニー(Denny)」は子供の頃からの愛称であった。母親は「基地特需(とくじゅ)」で沸く沖縄において、生活費を稼ぐために住み込みで働く。そのため玉城は10歳まで母親の友人宅に預けられ、そこで育った。
米軍普天間飛行場(ふてんまひこうじょう)(沖縄県宜野湾市(ぎのわんし))の名護市辺野古への移設計画をめぐり、国が新たな区域の埋め立て(うめたて)に必要な設計変更を県に代わって承認するための「代執行訴訟」で、福岡高裁那覇支部(三浦隆志(みうら たかし)裁判長)は20日、国の訴えを認め、県に承認するよう命じる判決を言い渡した。
期限は、判決の正本(しょうほん)の送達を受けた日の翌日から3日以内(行政機関の休日を除く(のぞく))としている。
【そもそも解説】地方自治法の代執行とは 前例なき「最後の手段」 「マヨネーズ並み」地盤に杭7万1千本 辺野古、難工事に懸念の声
県が期限内に承認しなければ、国は代執行に踏み切り、軟弱地盤が広がる区域で埋め立てに向けた工事を始める。国が地方自治体の事務を代執行すれば、前例のない措置となる。県は判決に不服があれば最高裁に上告できるが、工事は逆転勝訴するまで止められない。
訴訟では、設計変更を承認しない玉城デニー知事の対応が「著しく公益を害することが明らか」などの代執行の要件を満たすかどうかが争われた(あらそわれた)。
国側は「我が国の安全保障と普天間飛行場の固定化の回避という重要課題に関わる」と主張した。玉城氏は直近3回の知事選や2019年の県民投票で埋め立てに反対の民意が示されたとしたうえで、「何が沖縄県民にとっての公益であるかの判断は国が押し付けるものでなく、沖縄県民が示す明確な民意こそが公益とされなければならない」と訴えた。
防衛省は18年12月、辺野古南側の沿岸部で土砂投入を始めた。20年4月には北側の大浦湾で軟弱地盤の改良工事が必要として設計変更を申請したが、県が21年11月に「地盤の安定性の検討が不十分」などとして不承認とし、国と県の間で法廷闘争となった。
設計変更をめぐっては9月4日の最高裁判決で県が敗訴し、承認する法的義務が確定した。だが、玉城氏が承認しなかったため、国が地方自治法に基づき、代執行訴訟を起こした。10月30日に第1回口頭弁論が開かれ、玉城氏は法廷で「沖縄県の自主性および自立性を侵害する国の代執行は、到底容認できない」と意見陳述していた。(小野太郎)