2023年10月3日 5時00分
カリコ氏を励ました1冊
君はいいかげん年をとる前に自分が馬鹿なことをしているのに気がつくべきなんだよ――。生理学者のハンス・セリエ氏は若いころ、自らの研究について先輩学者から厳しく言われたことがあったという▼さぞ屈辱だったに違いない。後にストレス学の大家となったセリエ氏は、自著『生命とストレス』で若手研究者らを強く励ましている。たとえ何年も成果がでなくても、諦めてはいけない。自分を信じろ。新たな発見に必要なのは「長く味気のない期間にたえる楽天性と自信なのです」▼その本を高校時代に夢中になって読んだ少女が、新型コロナのワクチン開発で、ノーベル賞に選ばれた。「自分ができることに集中すること。他人がしていることや他人がするべきことを気にして時間の無駄遣いをするな」。カタリン・カリコ氏(68)は、セリエ氏の本にそう学んだと語っている(大野和基〈かずもと〉編『コロナ後の未来』)▼実際に、彼女の成功への道は苦難に満ちたものだった。大学の上司には「社会的に意義のある研究とは認めがたい」と言われ、降格の憂き目にもあった。悔しい思いを幾つも重ねたのだろう▼もしも、そこで彼女が諦めていたら、数百万人の命を救ったとされるワクチンはできていなかった。科学の進歩は常に、多様で自由な発想から生まれる▼いまこの瞬間も、あすの成功をどこかで夢見ながら、結果の出ない研究に悩んでいる若き科学者たちがいるのを想像する。カリコ氏の栄誉が彼らの励みにも、なるといい。