2023年10月5日 5時00分

江戸時代の犯罪記録

 時代は江戸、寛政9年というから西暦では1797年のことである。南部家(なんぶけ)が藩主の盛岡の地で、大量の公文書が掃除係(そうじかかり)によって盗まれるという事件が起きていた。藩の調べによると、犯行は密か(ひそか)に9年に及び、8千枚もの重要書類が持ち出されていたという▼目的は何か。いまなら真っ先に機密漏洩(ろうえい)が疑われるところだが、掃除係が売ったのは情報ではなかった。紙の価値が高い時代である。書類は古紙(ふるがみ)として、ロウソク屋や表具師(ひょうぐし)に売られていた▼盛岡市のもりおか歴史文化館で、企画展(きかくてん)「罪と罰」が開かれている。同館が所蔵する江戸時代の200年分の資料から、犯罪に関する39の記録が紹介されている。殺人や誘拐(ゆうかい)のほか、武士の泥酔騒動(でいすいそうどう)や門番の居眠り事件などもあり、何とも興味深い(きょうみぶかい)▼資料を読み込んだ学芸員の福島茜(ふくしま あかね)さんに尋ねてみた。なぜ、こうした犯罪が書き残されたのでしょう。「当時はいま以上に前例主義の社会でした。過去の事例をよく調べる必要があったのでは」▼改めて、記録を残すことの意味を考える。遠い未来の人々が、私たちの時代の文書を見るとき、彼らは何を思うだろう。そもそも大事な記録が廃棄されず、しっかり残っているだろうか▼冒頭の事件で、掃除係は「打ち首獄門(うちくびごくもん)」になった。盗まれた書類はおそらくロウソクの芯にでもなり、永遠に失われた。「盗まれなければ、いまごろここにあったかも。何の書類だったかさえ分からないのが、悔しいです」。福島さんは、そう話している。

うちくび 23【打ち首】 罪人の首を刀できり落とす刑罰。斬首(ざんしゆ)の刑の通称。斬罪(ざんざい)。

ごくもん 0【獄門】 ① 牢獄の門。 ② 〔斬罪になった囚人(しゅうじん)の首を →1にさらしたことから〕江戸時代の刑罰の一。斬首(ざんしゅ)のうえ,その首を一定の場所または悪事をした場所にさらすこと。獄門台にのせ,そばに罪状を記した立て札(たてふだ)を立てた。梟首(きようしゆ)。晒首(さらしくび)。