2023年10月17日 5時00分
パレスチナの詩人(しじん)
詩人マフムード・ダルウィーシュ氏は1941年、英国の統治下にあったパレスチナ北部の村ビルワに生まれた。彼が6歳のとき、そこにイスラエルという国が突然、できることになった。パレスチナ住民はユダヤの軍によって追い出された▼「あの夜のことは忘れない」。詩人はそう振り返る。オリーブの林(はやし)を、村人(むらびと)は走って逃げた。砲撃(ほうげき)と銃声(じゅうせい)が迫ってくる。満月(まんげつ)の夜だった。大勢の人が死んだ。村は破壊され、その名も消えた▼詩作を始めたのは10歳の頃だ。イスラエルの学校で、ユダヤの子への詩を書き、当局に呼び出された。〈きみには家があるけど、ぼくにはそれもない。きみにはお祝いがあるけど、ぼくにはない。なぜいっしょに遊んじゃいけないのだろう〉(四方田犬彦〈よもた いぬひこ〉訳『壁に描く』)▼やがて彼の詩は、傷ついたパレスチナの心を慰め(なぐさめ)、同時に、勇気を奮い立たせるものになっていく。だからだろう。詩の発表を理由にして、イスラエルは何度も彼を逮捕した▼幾多(いくた)の憎悪(ぞうお)が積み重なった地で、いま再び、人々が悲憤の涙に震えている。多くのイスラエル人が殺された。多くのパレスチナ人が殺された。幼き子も、お年寄りも。ガザの惨状を思うと、暗澹(あんたん)たる気持ちになる▼ダルウィーシュ氏は2008年、67歳で逝った(いった)。〈歴史は犠牲者も英雄(えいゆ)も嘲笑う(あざわらう)/彼らに一瞥(いちべつ)をくれて 過ぎてゆく/この海はわたしのもの。この新鮮な大気も〉。残された詩の一節(いっせつ)が、私たちの胸に静かに迫る。平和が欲しい。殺戮(さつりく)でなく。
-
1946年 - パレスチナにはアラブ人が130万人、ユダヤ人が70万人住んでいた
- 「アラブ・ユダヤ民族国家(cf.イフード運動)」建国を提唱していたパレスチナ人のシオニズム支持団体「新しいパレスチナ」代表、ファウズィー・ダルウィーシュ・フサイニーが身内から暗殺される
- 5月25日 - トランスヨルダン、独立宣言 アラブ連盟結成
- 7月7日 - エルサレムで、キング・デイヴィド・ホテル爆破事件(英国へのテロ)
- 「アラブ・ユダヤ民族国家(cf.イフード運動)」建国を提唱していたパレスチナ人のシオニズム支持団体「新しいパレスチナ」代表、ファウズィー・ダルウィーシュ・フサイニーが身内から暗殺される
-
1947年11月29日 - 国際連合によるパレスチナ分割決議