2024年1月8日 5時00分
中島らもと成人の日
作家の中島らもさんが通った高校は、本人いわく「化け物みたいな学校」だった。一学年150人ほどの同級生のうち、140人ぐらいが東大や京大に入る全国屈指の進学校だからだ。らもさんは、残り10人ほどの「落ちこぼれ」の一人だったそうだ▼それはまるで「高価なワインのびんの透明な底(そこ)に沈んで(しずんで)いる、ほんのすこしのオリ」のような存在であったという。ロックや恋愛や読書に没頭しながらも、どこか暗く、苦い10代を過ごしたらしい(『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』)▼だが、高校時代の彼を虜(とりこ)にした「勉学以外のひと通りのこと」は、のちに作家となってからジワジワと役に立った。だからだろう。過去を悔やんだり、いつまでも失敗に悩んだりしている人間に、らもさんの言葉は何ともやさしい▼人は所詮(しょせん)、なるようにしかならない。「不幸とは、夢中になれることから目をそらせて自分を不自然に撓めて(たわめて)いくことの中にある」。1980年代から本紙に連載した「明るい悩み相談室」は、多くの読者の心を癒やした▼2004年、異形の作家は酒を飲み、階段から落ちて亡くなった。その年に生まれた世代が、今年でもう20歳になる。きょうの「成人の日」にちなむ行事に、参加する人も多いだろう▼らもさんは成人式に呼ばれると、ポール・ニザンが著した(あらわした)『アデン・アラビア』の冒頭を読み上げたという。「僕はそのとき20歳だった。それが人生の中で一番輝かしい(かがやかしい)時期だなどとはだれにも言わせない」
中学校・高等学校(なだちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、兵庫県神戸市東灘区(ひがしなだし)に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。
中島 らも(なかじま らも、1952年〈昭和27年〉4月3日 - 2004年〈平成16年〉7月26日)は、日本の小説家、劇作家、随筆家、広告プランナー、放送作家、ラジオパーソナリティ、ミュージシャン。
2004年7月15日、神戸市内で行われた三上寛((みかみ かん)、あふりらんぽのライブに飛び入り参加。終演後に三上寛と酒を酌み交わし別れた後、翌16日未明、飲食店の階段から転落して全身と頭部を強打(きょうだ)。脳挫傷(のうざしょう)による外傷性脳内血腫(がいしょうせい のうない けっしゅ)のため神戸市内の病院に入院、15時間に及ぶ手術を行うも、脳への重篤(じゅうとく)なダメージにより深刻な状態が続き、自発呼吸さえ出来ない状態に陥る。
入院時から意識が戻ることはなく、事前の本人の希望に基づき、人工呼吸器を停止。同月26日8時16分死去。52歳没。
- 中島 らも(なかじま らも、1952年〈昭和27年〉4月3日 - 2004年〈平成16年〉7月26日)