2024年1月12日 5時00分

銃剣とブルドーザー

 不意打ちだった。午前4時、沢岻安一(たくし あんいち)さんが戸外(こがい)へ飛び出すと、米軍車両のライトに武装兵の影が浮かんでいた。こちらへ迫ってくる。1955年、いまの沖縄県宜野湾市での光景だ。米軍は基地をつくるために集落を囲み、住民を追い出した家を重機で押しつぶした。抵抗する者は突き飛ばした▼土地収用令により、当時の米軍は地元の同意なしで土地を奪えた。「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる非道なふるまいだ。しかし、それは単なる昔話といえるだろうか▼ついに、辺野古沖の大浦湾(おおうらわん)で埋め立て(うめたて)工事が始まった。抗議の声のなか、武装兵のかわりに、民間の警備員が車両の出入り口を固める。ブルドーザーのかわりに、ショベルカーが石を投入する。地方自治法により、地元の同意なしに海を奪う。長い歳月をはさんで、二つの光景はどこか重なって見える▼沖縄にとって大きく異なるのは、そうふるまってくるのが外国の軍隊ではなく、同胞(どうほ)である点だろう。「米軍の力に制圧されて来たこれまでは、まだ我慢が出来た。しかし日本自らが、またこの島を、国を守る最大の拠点にしようとするのである」▼深い失望を表したのは、ひめゆり学徒の引率教諭だった仲宗根政善(なかそね せいぜん)さんだ。72年の本土復帰(ほんどふっき)を前にした日記だが、いまを予見した言葉にみえてならない▼国民の声が大きくなれば計画を変える。それが政治のはずだ。沖縄の人口は全国の1%。姿勢を問われているのは、99%の私たちの側であることを忘れてはなるまい。