2024年3月10日 5時00分
東京大空襲から79年
9歳の少女は、目の前の光景が信じられなかった。夜行列車で疎開先(そかいさき)から上野駅に着くと、東京は焼け野原になっていた。誰もが黒く、服はズタズタで、「人間じゃない顔」をしていたという。いまからちょうど79年前、1945年3月10日の朝のことである▼その日の未明、279機のB29爆撃機が東京の下町(したまち)を襲い、30万発以上の焼夷弾(しょういだん)を投下していた。10万を超える人命が奪われた。米軍はなぜ、そんな非道な殺戮(さつりく)をしたのか。いかなる理由を並べられても、納得できるものではない▼彼女の35歳の母も、14歳の姉も、7歳の妹もいなくなった。父は早くに亡くなっていた。一人きりの彼女は親族に預けられたが、悲しく、苦しい毎日だったそうだ。「親と一緒に死んでくれたらよかったのに」。ひそひそ話が胸に突き刺さった▼大人になってからもずっと、孤児であることは隠して生きたという。毎年3月になると頭痛(ずつう)がして、胸が苦しくなった。結婚し、子どもができた後は「家が火事で焼け落ち、家族が死ぬ」との妄想(もうそう)がやまなかった▼この国の政府は孤児に冷たかった。戦後長く、空襲の死者の数も名も調べていない。いまに至るも、遺族には何の補償(ほしょう)もない。「国民の命を守るための戦争などと言いますが、私たちは国に棄てられたと思っています」▼きょうこの日、あえて記しておきたい。戦争は多くの孤児を生んだ。彼女の名前は金田茉莉(かねだ まり)さん。戦争孤児の会の代表を務め、昨年7月10日に亡くなった。88歳(はちじゅうはっさい)だった。