2024年3月5日 5時00分

ドッジの竹馬(たけうま)

 「日本経済は2本の竹馬(たけうま)の足に乗っている。1本はアメリカの援助、もう1本は国内の補助金だ」。米占領下(べいせんりょうか)にあった75年前の3月7日、米国から公使として来日したジョセフ・ドッジが記者会見で語った。そうして指示したのが、ドッジラインと呼ばれる超均衡財政(ちょうきんこうざいせい)である▼戦後間もない日本は、年間予算を超える規模の米国の援助に支えられた。輸出入(ゆしゅつにゅう)の管理で生じた差額は政府が補助金で穴埋めした。超インフレを収めるには「竹馬の足」を切るしかないと、ドッジは主張した▼あわてたのは、吉田茂(よしだしげる)率いる当時の民自党内閣だ。大幅減税を掲げて年明けの総選挙で大勝(だいしょう)したばかりで、緊縮策では公約違反になってしまう。板挟みになった蔵相(ぞうしょう)の池田勇人(いけだ はやと)は一部の減税だけでも、とドッジと折衝(せっしょう)を重ねた▼公約とは似ても似つかぬ予算の見通しに党内で不満が噴出し(ふんしゅつし)、池田も一時は辞任を覚悟したという。結局、予算は首相の吉田が「みんなを黙らせて通ったようなもの」だったと、池田の秘書官を務めた宮沢喜一(みやざわ きいち)が回顧録(かいころく)で振り返っている▼荒療治(あらりょうじ)で超インフレは収束したが、副作用も深刻だった。中小企業の倒産や労働者の解雇(かいこ)が相次ぎ、ドッジ不況と言われた。翌年7月に85円25銭まで下落した平均株価は、いまでも最安値の記録だ▼きのう、日経平均株価が初めて4万円を超えた。竹馬経済論は昔の話なのに不安定に感じてしまう。公約の重さに苦しむとか、指導力で党内をまとめるとか。そんな政治家が見えないせいか。

ジョゼフ・マレル・ドッジ(英語: Joseph Morrell Dodge、1890年11月18日 - 1964年12月2日)は、アメリカ合衆国の政治家。銀行家で、後にデトロイト銀行(英語版)頭取にまでなった。

1945年からアメリカで第二次世界大戦後の連合軍(れんごうぐん)占領下ドイツのインフレ問題に取り組む。その後、1949年2月から日本でドッジ・ラインとして知られる経済政策を立案・勧告した。1953年にはドワイト・D・アイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower)政権で第10代行政管理予算局長官に就任し、1954年までこの職務を務めた。

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