2024年3月11日 5時00分
311への手紙
宮城県女川町(おんながわまち)を見下ろす丘の上で、これを書いています。いかがお過ごしですか? あの日と同じように、さっきまで小雪が風に舞っていました。あなたたちを忘れぬようにという空からのメッセージでしょう▼東日本大震災の1カ月後に、ここから見た光景を思い出します。視界いっぱいのがれき。3階建てのビルの屋上に自動車が場違いに転がっています。あなたをさらった津波が残したのでしょう。街全体が沈み、道は海の中へ続いているかのようです。女川原発は、最悪の事態をなんとか免れました(まぬかれました)▼原発に重大事故が起きたら車で避難を。車のない人は、県や自治体が用意したバスなどが来るまで待って――。震災後につくられた各地の避難計画はそう言います。国も内容を了承しました▼計画を発動しなければならない時、どんな光景が目の前に広がっているか。そうした対応が可能か。自治体も、国も、裁判所も、知らないはずがありません。たった13年前のことです。能登半島でも道が崩れ、救援が立ち往生するさまを見ました▼なぜでしょう。あなたたちの命の代わりに学んだはずのことが、なぜこんなふうになってしまうのでしょう。女川原発は秋にも再稼働するそうです。復興の街を風がただ吹きぬけてゆきます▼いや問うべき相手はあなたではなく、遺された(のこされた)私たち自身でしたね。震災後の社会をつくったのは私たちなのですから。それでは、またお便りします。この丘からならば、きっと届くと信じています。