2024年3月12日 5時00分
震災遺構の力
13年前のあの日、鈴木洋子さん(73)は小学校の校長だった。両手で机をにぎりしめて揺れに耐えたあとで、児童や教職員と学校裏の山へ。3階建ての校舎は、燃えながら津波に流されてきた家などから延焼し、炎に包まれた(つつまれや)。宮城県石巻市の旧門脇(かどのわき)小学校である▼黒く焦げた校舎はいま、震災遺構になっている。校長室の乾いた泥の上には、流れ着いた赤いランドセルが転がる。4年2組の教室には、焼けて骨組み(ほねぐみ)だけになった椅子が並ぶ。窓の向こうに目をやると震災の傷痕(きずあと)はほとんど見あたらず、復興祈念公園の芝生(しばふ)が海まで続く▼校舎を残すことに、住民の多くは「見るのがつらい」と反対した。その気持ちを受け止めつつ、鈴木さんは説いた。「地震があったら早く逃げる。校舎そのものが未来の子どもへのメッセージなんです」▼広島の原爆ドームも初めは、保存に反対する声が多かったという。心に深い傷を負った人が過去を見つめられるようになるには、長い月日が必要なのだろう。門脇小が遺構として公開されたのは、震災11年後だった▼海の見える丘で、慰霊碑(いれいひ)の前で、繁華街で。鎮魂のサイレンが響く。多くの祈りがきのう捧げられただろう。鈴木さんは門脇小の正門前で手を合わせた。〈津波にて焼けし校舎に立つ我の耳朶(じだ)には児らのさんざめく声〉▼震災の影響で閉校していなければ、今年度は開校150年を迎えたはずだった。毎朝通ってくる子どもたちの姿はない。だが校舎には新たな使命が吹き込まれた。