2024年3月16日 5時00分
北陸新幹線の延伸
山で恐ろしい目にあった僧(そう)が一夜の宿を乞う。泉鏡花(いずみきょうか)の代表作『高野聖(こうや ひじり)』は、明治になって僧が「私」に思い出を語る形で進む。2人は、東京から福井・敦賀(つるが)へ向かう汽車の中で知りあった。「昨夜九時半に発って(たっつ)、今夕(こんゆう、こんせき」に着くという長旅(ながたび)である▼敦賀にレールを敷くことは、東京―横浜間と同時に、明治政府によって最初に計画された。いまの人口からするとやや意外に思えるが、北陸のコメを京阪神(きょうはんしん)に運ぶためだったそうだ。戦前まであった東京発の「欧亜国際連絡列車」は、敦賀港(つるがこう)からの船とシベリア鉄道を経て、欧州までを切符1枚で結んだ▼「鉄道の街」よ、再び――地元の期待が高まっていることだろう。北陸新幹線はきょう、金沢(かなざわ)から敦賀まで延伸(えんしん)される。東京から乗り換えなしに3時間8分で行ける、というのがJRの売りである▼先月訪れた時、駅前からのアーケード街は歓迎の横断幕で彩られていた(いろどられていた)。シャッターを下ろした店がここも少なくない。店主が嘆く。「お客が増えてくれたらうれしいけど、そんなに見るところないでしょう?」▼いいえ。雪の舞う厳粛(げんしゅく)な神社、レトロな看板。歴史豊かな街に、出来ればもう1泊したかった。旅の楽しさの一つは、地元の人が忘れがちな魅力を見つけることでもある▼泉鏡花は旅好きだったという。揺られる車窓からの風景を掌編(しょうへん)に残している。「野の花は菫(すみれ)たんぽぽ、黄に又紫に、おのがじし咲きたる中を、汽車の衝と(つと)過ぐる(すぐる)」。春を見に、もう一度訪ねてみようか。
おのがじし 【己が自】(副) めいめいに。それぞれに。「―人死(しに)すらし妹に恋ひ日にけに痩せぬ人に知らえず」〈万葉集•2928〉