2024年9月8日 5時00分
飛鳥時代の「九九八十一」
ひらがなカタカナの成立前に生まれた万葉集は、すべて漢字で記されている。いわゆる万葉仮名だ。中には、なぞなぞのような表記もあっておもしろい。ある一首は、人知れぬ恋が顔色に「山上復有山」ば、と書かれている。山の上にまた山で「出」。出(い)でば、と読む▼こちらはどうだろう。あの人と一夜とて別には過ごせない、「二八十一」ないのに――という相聞歌だ。答えは「憎く」。八十一をククと読ませるのは、かけ算の九九によるそうだ。「二二(シ)」と読むのもあって、あの暗記法はどうも古くからあるらしい▼奈良県の藤原京跡で見つかっていた木簡は、九九の一覧表の一部だった。新たに判明したと先日の記事にあった。大きさからすると、古代の役所に置かれていたという▼九九は中国から伝わり、当時の役人にとってはすでに基礎的な教養だったそうだ。確かに、税の計算をするにも物の管理をするにも、四則演算は必須であったろう▼でも覚えが悪いのはいたはずで、人知れず「ニニンガシ」「ニサンガロク」とそっと繰り返していたに違いない。我が身をふりかえれば、運良く九九はすり抜けたが、高校での三角関数には泣かされた。サインコサインタンジェント。呪文のような公式は、何度聞いてもこんがらがった▼万葉集ならば「二二苦八苦」と書くところだろうか。四苦八苦。数字や記号を丸のみする大変さは、いつの時代も変わるまい。古代の役人に会えたら「よう、ご同輩」と、励ましあえる気がする。