2024年9月16日 5時00分
老い(おい)と武者小路実篤
〈雨が降った/それもいいだろう/本が読める〉――。武者小路実篤は、数々の名言とともに90歳まで生きた。特に、その晩年の詩が、私は好きだ。巧みな文章術を使うことなどなく、まっすぐ老いに向き合い、素朴(そぼく)に、自然につづった言葉が何ともいい▼〈私ももうじき/満八十五歳になる〉。終(つい)のすみかと定めた東京の自宅で、文豪はつぶやくように、淡々と書いている。〈よくも生きていたものと思う/生きている事は嬉しいものだ/死ぬ事はいやなものだ〉▼米寿(べいじゅ、「米」の字が八十八に分解できることから)を過ぎたころからは、耳が遠くなり、手の震えも目立ったという。それでも創作を続け、死去(しきょ)の半年前(はんとしまえ)、こう記した。〈わたしはまだ生きている/本気になって生きている/嘘をついて生きてみたいとは思わない/真から(しんから)本気になって生きてみたい〉▼何の飾りもない直球の言葉からは、自らの半生を振り返っての悠々たる思いと、死への厳粛な感情が、じわりと伝わってくる。〈人生は楽ではない。そこが面白いとまあしておく。人生は楽ではない〉▼悩みながらも、何とか、どうにか生きていく。「もっとも多く生きた人間は、もっとも多く年をかさねたものではなく、もっとも多く生を感じたものである」。18世紀の思想家ルソーが名著『エミール』に残した至言(しげん)が頭に浮かぶ▼きょうは敬老の日。生と死を考え続けた先達たち(せんだつたち)の姿は力強く、そこはかとなく美しい。彼らの大いなる励ましを受けつつ、自らの老いもまた、しずかに見つめてみたい一日である。
- 武者小路実篤(むしゃのこうじ さねあつ)
敬老の日(けいろうのひ)は、日本の国民の祝日の一つ。高齢者を敬う日。日付は9月の第3月曜日。