2024年9月22日 5時00分

能登の大雨(おおあめ)

 土砂崩れでむき出しになった山肌(やまはだ)を、大量の泥水(でいすい)が流れている。押しつぶされた住宅や、川の氾濫(はんらん)で浸水した街並みの映像に言葉を失う。元日の地震から8カ月余りがたった能登半島(のとはんとう)の北部を、大雨が襲った。「どうしてまた能登が」と思わずにはいられない▼詳しい被害状況はまだわからないが、亡くなった方もいる。石川県輪島市(わじまし)と珠洲市(すずし)では仮設住宅も床上浸水(ゆかうえしんすい)したという。地震で被災して暮らす場所から、また避難しなければならない不条理さ。能登町も地震の際には、道路の寸断などで孤立(こりつ)の苦しみを経験している▼重なる災害に、戦前の日本を代表する哲学者の西田幾多郎(にしだ きたろう)が唱えた(となえた)「絶対無」という言葉が浮かんだ。現在のかほく市に生まれた西田は、『善の研究』で知られる知(ち)の巨人だ▼西田は禅に親しみ、西洋哲学に東洋の思想を融合(ゆうごう)した。妻子や友との相次ぐ死別など多くの不条理を経験し、悲しみの中で自己を見つめ続けた。難解な言葉を咀嚼(そしゃく)すると、自分ではどうしようもない状況で達した境地(きょうち)にも思える。乗り越える、乗り越えたいのだと▼西田は短歌も多く詠んだ。〈人は人吾(われ)は吾なりとにかくに吾行く道を吾は行くなり〉。大切な命は自分で守れ、津波が来たらばらばらに逃げろという「てんでんこ」の教えにもつながるような気がした▼〈わが心深き底あり喜(よろこび)も憂(うれひ)の波もとゞかじと思ふ〉。人間の心は果てしなく深い。能登の優しい人々の心の底までは届かなくても、ただただ無事であって欲しいと祈る。

ぜったいむ 3【絶対無】 西田哲学の用語。対象化を受けつけずあらゆる有を超えて作用すると同時に,無自身が一定の仕方で自己限定していくことにより個別の有に至りうること。西洋思想の有の論理に対抗するが,神秘主義的直観と批判もされる。