2024年2月1日 5時00分

能登半島地震1カ月

 激しい雪のなか、海沿いのカーブを車で曲がった。あれは何だ。前方(ぜんぽう)で、黒瓦(くろかわら)の美しい家々がはらわたを喰(く)いやぶられたように1階の家財道具をぶちまけている。冷蔵庫、布団、椅子……。護岸(ごがん)の向こうに場違いに転がり、ドオドオという日本海の波音だけが響く。時が止まっていた▼先週訪れた石川県珠洲市(すずし)の寺家(じけ)地区は、大きな揺れに加えて津波に襲われた。それにしても、これが発生1カ月を迎える光景なのか。「1月1日の夕方から街の景色が変わっていない」。泉谷満寿裕(いずみや ますひろ)市長が語っていたのはこうした状況だった▼現地を通るまで、よく分かっていなかった。復旧作業が進まないまま、他の地域のより大きな被害のかげで存在が埋もれて(うもれて)いる。あの半島にいくつもある、そうした集落の悲しみが迫ってきた▼奥能登はかつて、昆布などを運ぶ北前船の中継地であり、人々でにぎわった。だが時を経て、過疎化(かそか)・高齢化が進んだ。追い打ちをかけるように地震に見舞われ、多くの住民が避難でふるさとを離れた▼市の中心部で男性が嘆いていた。営んで(いとなんで)きた理容店の客の多くは80代以上だという。「壊れた店を建て替えても、肝心のお客さんは街に戻ってくるでしょうか」。被災者が以前のような暮らしを取り戻せてこその「復興」である▼寺家(じけ)地区を離れるとき、気まぐれ(きまぐれ)な能登の空は一瞬、青い色を見せてくれた。そして、また静かに雪を降らせ始めた。春までの道のりは長い。だが一歩ずつ近づいている。そう信じたい。

きたまえぶね,5【北前船】 日本海海運に就航していた北国地方の廻船(かいせん)のうち,江戸中期以降,西廻り航路に就航していた廻船に対する上方地域での呼称。蝦夷(えぞ)地や東北・北陸など北国(ほっこく)の物資を西国に,西国の物資を北国に運送した。北国廻船。北国船。