2024年2月9日 5時00分
森友問題は終わっていない
「きみが探している文書は、かなり機密性が高いね」。法廷に提出された証拠(しょうこ)の閲覧を求める新聞記者に、険しい表情の判事が言う。「この文書を記事にした場合、責任は誰がとるのかね」。即座に記者が答える。「では、記事にしない場合の責任は誰が?」▼米映画「スポットライト 世紀のスクープ」の印象的な場面である。神父(しんぷ)の性虐待(せいぎゃくたい)をめぐり、教会の隠蔽(いんぺい)を暴こう(あばこう)とする記者たちの話だ。モデルとなった米地方紙の記者によれば、実際にこうしたやりとりの末、文書は開示されたという▼翻って(ひるがえって)思うのは、日本の情報公開の寂しい現実だ。公開によって問題が生じないかは極度(きょくど)に神経を尖らす(とがらす)のに、非開示の判断は、誰も厳しく責任を問われない。何だか、おかしくはないだろうか▼朝日新聞が森友学園の問題を最初に報じてから、きょうで7年になる。なぜ国有地が8億円も不透明に値引きされたのか。なぜ財務省は公文書を改ざんしたのか。いまだに謎(ナゾ)は残るままだ▼全容の解明に不可欠な公文書の公開は、進んでいない。財務省が検察に出した書類の開示をめぐる訴訟(そしょう)では、改ざんに絡む文書があるかどうかさえ明らかにされていない。行政文書(ぎょうせいぶんしょ)の「原則は公開」という看板の字が掠れて(かすれて)見える▼事実がうやむやにされることで、この国の民主主義の未来、社会の公正さ、そんな目に見えない大きなものが深く傷ついていないか。真実を明かさぬ責任は、誰がどう背負うのか。森友問題は、まだ、終わっていない。