2024年2月21日 5時00分

「最後」の蘇民祭

 永々と千年も続いた蘇民祭(そみんさい)が幕をおろす。そう聞いて、岩手県奥州市の黒石寺(こくせきじ)を訪ねた。ふだんは静かな古刹(こさつ)なのだろう。だがこの夜、境内(けいだい)は下帯(したおび)だけの男たちでひしめきあった。片手に掲げた角灯(かうとう)が光と影を裸身に刻む。水ごりを浴びる背中。白くあがる湯気▼ジャッソウ、ジョヤサという独特のかけ声が、テンポをあげながら延々と本堂に響く。酔った(よった)ような境地(きょうち)に至ったころ、祭りは最高潮となる。五穀豊穣(ごこくほうじょう)をもたらす麻袋(あさぶくろ)を奪いあって、参加者の肉体は一つの生き物のようにまとまり、うねる。太古さ(たいこさ)ながらの光景であった▼名称の由来である「蘇民将来」は、スサノオノミコトをもてなした伝説の人物の名だ。唱えれば厄よけ(やくよけ)になるとされ、先の大戦中でも祭りはにぎわった。だが、いまや高齢化が進んで、準備で担う(になう)役割を檀家(だんか)が負えなくなった。これで最後と、寺が宣言をした▼思うに、祭りとは地域の鎹(かすがい)であろう。集落を離れた者もこの時だけは戻り、血をたぎらせ、自分がふるさとの一員であることを再確認する。なくなってしまえば、その細いつながりすら切れてしまう。「残念」以外に言葉が見つからない▼同じ気持ちを抱く人が少なくないのだろう。祭りの直後に、保存協力会青年部の菊地敏明さん(49)は「このままでは終わらせられない」と語った。何らかの形で来年以降も続けたいという▼蘇民祭という文字を見つめなおす。「民」が祭りを「蘇(よみがえ)」らせる。その願いがかなうことを、祈ってやまない。