2024年2月24日 5時00分
ウクライナ侵攻2年
ちょうど2年前のきょう、ウクライナの国民的作家アンドレイ・クルコフ氏は爆発音に跳びおきた。キーウ市内に着弾したミサイルだ。午前5時に3回、そして1時間後にさらに2回。「(ロシアとの戦争が)始まったのはもう明白だったが、それを信じたくはなかった」▼著書『侵略日記』にそうある。作家はときに、愛するウクライナの歴史や言語の複雑さにも思いをめぐらせながら、半年余りの暮らしを静かな筆致(ひっち)でつづる。自身も、遠く離れた街への避難を余儀なくされた一人だった▼悲しいことにかの地では、この2年で戦争という非日常が日常になってしまった。クルコフ氏がSNSに近況を投稿している。「この戦争は長く続き、それとともに生きることを学ばねばならない」▼現地で取材する同僚によると、キーウ市内では直近の1カ月余りだけで空襲警報が25回発令され、計29時間に及んだという。一度発令されれば数時間続くこともある。じゃあね、と友人と別れる時、これで最期かもしれないと一瞬脳裏を掠める(かすめる)。戦時下に生きるとはそういうことだろう▼プーチン大統領に攻撃されているのは、ウクライナだけではない。ロシア国内で生まれる言論でもあり、国際社会の秩序でもある。それを忘れてはいけない▼冒頭の日記でクルコフ氏は、自分たちの一生は「戦前」と「戦中」の二つに分けられたと書いている。「もちろん私たちは皆、いずれ『戦後』という時期も生まれるのを願っている」。一日も早く。
- アンドレイ・クルコフ
二〇二二年二月二四日は、ほとんど何も書けなかった。キーウに響き渡ったロシアのミサイルの爆発音で目覚めた私は、自宅アパートメントの窓辺に一時間ほど立ち尽くして人気のない街路を眺めやり、戦争が始まったと気づいたが、この新たな現実をまだ受け止められなかった。続く数日間もやはり何も書けなかった。車でまずはリヴィウに、それからカルパチア山脈をめざした移動は、果てしない渋滞で想像を絶する長旅(ながたび)になった。国内の他のあらゆる地域からの車の波が、西へ続く道という狭い漏斗(ろうと)めがけて押し寄せていた。誰もが戦争の暴力から家族を守るために逃げようとしていた。
アンドレイ・クルコフ (2023). 侵略日記 (ホーム社) . 株式会社 集英社. Kindle 版.