2024年2月28日 5時00分
政倫審よ、どこへ
この国で、大事にされる日常とは何だろう。不要不急とは何なのか。コロナ禍で、私たちはその区別を身をもって知ったはずだが、もう忘れただろうか。一昨年に逝ったコラムニスト小田嶋隆(おだじま たかし)さんが「まとめるとこんな感じだろうか」と記している(『災間の唄(わざわいかんのうた』)▼いわく、不要不急とされたのは、天皇誕生日の式典であり、音楽や演劇といったイベントであり、プロスポーツの試合だった。企業では正社員の在宅勤務が促され、学校は休校となった▼では、逆に「必要不可欠」の日常とは何だったか。小田嶋さんは痛烈な皮肉を込めて書く。「満員電車、非正規雇用者の日銭仕事(ひぜにしごと)、政治家の資金パーティー、首相の支援者との会食、五輪がらみの競技大会」▼いま、自民党議員の裏金リストを見ると、改めて怒りが湧いてくる。誰もが我慢に我慢を重ねていたコロナ禍のさなかも、政治資金パーティーは続いていた。自由な政治活動を止めてはならないとの大義の下で、コソコソと裏金作り(うらきんつくり)がなされていたわけである。何ともひどい裏切り行為だ▼政倫審をめぐる自民党の後ろ向きな姿勢には、もはや言葉がない。先に釘を刺しておきたいが、政倫審とは禊(みそぎ)の場ではなく、あくまでも裏金を得た議員の弁明の機会に過ぎない。事実の解明や責任の追及が、これで消えるわけでもない▼うんざりしつつ、怒り続けようと思っている。「桜が一週間で散るのは、われら日本人が飽きっぽいからだ」。小田嶋さんはそんな言葉も残している。
禊(みそぎ)は、罪や穢れ(けがれ)を落とし自らを清らか(きよらか)にすることを目的とした、神道(しんどう)における水浴行為である。不浄(ふじょう)を取り除く(とりのぞく)行為である祓(はらえ)の一種とされる。
類似した行為に水垢離(みずごり)と呼ばれるものがある。このほかにも、禊祓(みそぎはらえ)を省略して禊とよぶこともある。禊祓は、禊(みそぎ)と祓(はらい)を合わせた概念で、夏の季語である。
神事の前における行(ぎょう)として、一般参拝者が手水で清めることも禊の一種であるとされる。