2024年5月9日 5時00分

申し訳ございません

 無表情で抑揚なく繰り返された言葉に、怒りよりも気味の悪さを感じた。「事務局の不手際(ふてぎわ)でございます。大変申し訳ございません」。1日に行われた水俣病(みなまたびょう)患者らの団体との懇談の最後、発言の最中にマイクを切ったことを問いただされた環境省幹部の反応である▼松崎重光(まつざき しげみつ)さん(82)は、昨年4月に亡くなった妻の話をしていた。「『痛いよ痛いよ』と言いながら死んでいきました……」。このあと、環境省側から「申し訳ございません。話をおまとめ下さい」。そして音量がオフに▼もし「申し訳ございませんの神様」がいたら、「微塵(みじん)も思っていないのに言うな」と怒るのではないか。それくらい横柄に聞こえたが、こうした場では慇懃(いんぎん)無礼が慣習なのかもしれない。「すいません。お時間でございます」もあった▼その「お時間」は1団体3分。伊藤環境相はきのう謝罪へ向かう前に、3分の設定について「決して長い時間じゃないと思います」と記者団に話した。もし不十分だと感じたなら、担当大臣として変えるべきではなかったか▼水俣病が公式に確認されて68年。その歴史は常に、認定をめぐる闘いと共にあった。典型症状があっても認定や救済策(きゅうさいさく)を受けていない人たちが、いまもいる。松崎さんの妻もその一人だった▼語り部だった杉本栄子さんが患者へ向けて遺した(のこした)言葉を思い出す。「苦しくても、のさり(賜り物(たまわりもの ))と思うて暮らしてくだまっせよ」。冷たい役人口調(くちょう)に触れた後では特に、どこまでも温かく響く。


環境省にとって水俣病とは 2024年5月9日 5時00分

水俣病と環境省の歴史/水俣病とは…

■71年の発足時から救済は任務。まだ決着していない

 Q 水俣病(みなまたびょう)とはどんな病気か?

 A 熊本県水俣市にあるチッソの工場が廃水(はいすい)と一緒(いっしょ)に海に流したメチル水銀が原因の公害病だ。熱さや痛さなどの感覚が鈍く(にぶく)なる、見える範囲が狭く(せまく)なるなど様々な症状(しょうじょう)がある。

 Q 公害対策は環境省(かんきょうしょう)の原点と聞いた。

 A 環境省の前身の環境庁(かんきょうちょう)は1971年7月、公害の防止や自然環境の保護などを目的に発足した。水俣病被害(ひがい)の救済は、大きな任務だった。

 しかし77年、水俣病と認定するには、複数の症状が必要として基準を厳しくした。このため、水俣病と認められない被害者によって、国や自治体、原因企業(きぎょう)の責任を問う裁判が相次いだ。

 Q 国はどう対応したのか。

 A 政府は95年、一定の症状がある約1万人に一時金260万円や医療費(いりょうひ)を支給する「政治決着」を図った。翌96年5月1日、環境庁長官が初めて、水俣病の犠牲者慰霊式(ぎせいしゃいれいしき)に出席した。公式確認から40年がたっていた。

 Q それで被害者は納得したのか。

 A 国の救済策は不十分だとして、裁判を続ける未認定患者(かんじゃ)もいた。最高裁は2004年、国と熊本県の責任を認めるとともに、国の認定基準より幅広い(はばひろい)救済を認める判断を示した。

 国は09年、水俣病被害者救済法(特措法〈とくそほう〉)をつくり、一定の症状がある約3万8千人に一時金210万円や療養費を支給した。

 Q それで決着したのか。

 A これまでに約3万3千人が患者認定を申請(しんせい)したが、認定されたのは2284人だ(3月末時点)。さらに特措法の対象からもれたり、申請できなかったりした人たちによる裁判は今も続いている。

 Q それが水俣病は終わっていないと言われる理由か。

 A 健康被害の全容が明らかになっておらず、特措法は水俣病の広がりを知るための住民健康調査を国に求めていたが、10年以上たっても行われていない。(石井徹)

 ■関心のあるテーマをお寄せください。wakaru@asahi.comメールする