2024年6月11日 5時00分
何を思い、風船を作るのか
日本の上空では、秋から春先にかけ、強い偏西風(へんせいふう)が吹く。これを利用し、風船に爆弾をつり下げ、遠く米国本土を攻撃したのが、旧日本軍の「ふ」号作戦である。戦況が悪化するなか、「陸軍最後の秘密兵器」とも言われていたそうだ▼風船は、和紙とコンニャク糊(のり)で作られた。多くの若者が学徒動員された。愛媛県の川之江(かわのえ)高等女学校の卒業生たちが『風船爆弾を作った日々』という本で、当時を振り返っている▼山火事などの戦果が伝えられると、工場で働く少女たちは大喜びしたという。ある3年生は日記に書いた。「今日の残業は勇気凜々(りんりん)、手先の感覚がわからなくなるまで頑張った」。全国で9300発が放たれ、1割ほどが太平洋を越えたとされる。6人が犠牲になった▼米国が原爆を開発しているとき、もう日本は資源も人材も底をついていた。和紙を貼る係(はるかかり)の生徒は、裁断する寸法の指示が間違っているのに気づいた。「こんなことでは戦争に負けるのではないかと、そのとき初めて思った」▼さて、こちらは爆弾ではなく、紙くずなどをぶら下げているという。韓国側からのビラ風船に対抗する北朝鮮のゴミ風船である。「誠意の贈り物」として少なくとも22トンのゴミを飛ばしたと聞けば、尋常ではない。武力の応酬に転じないよう強く願う▼前述の書には、卒業生の短歌もある。〈秘密裡に貼るも辛しと思はざりき銃後守りし学徒の我等〉。独裁下(どくさいした)の隣国で、風船を作っている人びとはいま、何を思っていることか。
「秘密裡に 貼るも辛しと 思はざりき 銃後守りし 学徒の我等」の読み方 「ひみつりに はるもからしと おもはざりき じゅうごまもりし がくとのわれら