2024年6月17日 5時00分
官僚離れ(かんりょうばなれ)
城山三郎(しろやま さぶろう)の小説『官僚たちの夏』は、1960年代の初夏の場面から始まる。主人公の風越信吾(かざごし しんご)は、通産省の秘書課長。自前でつくった人事カードを机に並べては配置をやり直し、後輩2人を本省から出す▼彼らは出世コースを外れるかもしれない。だが「たいした損失ではない。省内に人材は溢れ(あふれ)すぎ、ポストは少なすぎる(すくなすぎる)」。激務と知りながら、それでも理想に燃える若者たちが、キャリア官僚(かんりょう)の道を次々と歩む。それが時代の空気だったのだろう▼隔世の感がある。霞が関(かすみがせき)ではいま「官僚離れ」の潮流(ちょうりゅう)が凄まじい(すさまじい)。国家公務員試験の志望者は減り続けている。総合職に今年合格した人のうち東大生は1割以下。せっかく入っても10年未満で辞める人が年100人以上もいる▼「いまだに長時間労働が評価されている」「給与が低く、やりがい搾取」「自分たちの仕事が何につながっているのか見えない」……。人事院の諮問会議(しもんかいぎ)が職員らから聞き取った声を読むと、国の心臓部が抱えている病は重篤(じゅうとく)だ▼長患い(ながわずらい)もある。以前から、未明までの残業は当たり前とされた。『官僚たちの夏』でも、異端の若手が言う。「簡単にいうなら、わたしたちは働きすぎですよ」。甘すぎる、と風越は嫌った(きらった)▼だがいまや、待遇(たいぐう)などを改めることは必須(ひっす)だろう。キャリア官僚の学歴がどうだろうと構わない。転職も自由だ。だが国家のかじ取りを担う(になう)仕事に、若者が希望を見いだせないとしたら。この国の未来はどうなってしまうのか。危うい。