2024年12月29日 5時00分
能登半島地震から1年
奥能登を訪ねた。冬を迎えた日本海は白く波立ち、雲は重たく、風が冷たい。朝市が開かれていた輪島市の中心部に行く。元日の地震の後も半年以上、黒く焼けた家々はそのままだったが、いまはもう解体され、あたり一面は更地である▼「がれきがあれば、それを見て悲しくなったけれど、なければないで、何だかそこにあった思いもなくなるようで……」。一本の道を挟み、辛うじて延焼を免れた店の横で、古希をこえた日吉啓子さんは訥々(とつとつ)と語った。金沢での仮住まいが続く。「これから、どうなるんでしょう」▼観光名所だった珠洲の見附島は崩れ、形が変わった。近くの仮設住宅に暮らす宮口智美さん(39)は、被災地を案内するガイドをしている。「観光で来てとはまだ言えない」。でも、将来のために何かできないか。そんな思いだという▼残った倒壊家屋には、津波が運んだ海藻がこびりついたままだ。ここに来て、見てほしい。自分が被災することを想像してほしい。「学ぶ意味はあるから」と彼女は言った▼輪島の門前中学校では、佐藤ひらりさんの支援コンサートが開かれていた。東京パラリンピックで歌った全盲の23歳は、生徒たちに呼びかけた。「たとえ暗闇でも、心の目を開いたら、歩いてゆける」▼地震に続く豪雨で、大きな被害がでた地域だ。小川由美子校長は、少し涙ぐんでいるように見えた。「いまは辛(つら)くても、その先があるんだというメッセージをもらえて、ありがたい」。もうすぐ、1年である。