2024年12月2日 5時00分
アダム・スミスと家事
牛を飼ってもいないし、ブドウを作ってもいない。なのに私たちがステーキやワインにありつけるのは、肉屋や酒屋の善意のおかげではなく、それぞれが利益を追求した結果だ。「見えざる手」を説いた経済学の父、アダム・スミスの有名な思想である▼はて、本当にそれだけか。生涯独身だった彼がステーキにありつけたのは、台所にいた母親のおかげでもあるはずだ。「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?」という本で、北欧出身のジャーナリスト、カトリーン・マルサル氏が疑問を投げかけている。経済学は、家事や育児を軽視してきたのではないか、という問いだ▼料理をしても、食器を洗っても、子どもを寝かしつけても、国内総生産(GDP)には反映されない。介護や保育など、かつては家の中だけにあった仕事の賃金も低いままだ▼言うまでもなく、家事や育児を担って(になって)きたのは圧倒的に女性である。その価値や負担と向き合わないまま、さあ外で自由に働きましょうと追加発注しているのが、いまの状況ではないか▼芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)の短編に「メンスラ・ゾイリ」という不思議な器械が出てくる。小説をのせると、その価値を測れる(はかれる)という。自身の作品を酷評された物書きは、ばかばかしくなって言う。「しかし、その測定器の評価が、確かだと云(い)う事は、どうしてきめるのです」▼使い古したものさしが、本当に正しいのか。実は世の中の半分しか測れていないとすれば、その上に立つ社会は当然ぐらぐらになる。