2024年12月3日 5時00分
中村哲さんと干ばつ
アフガニスタンで人道支援を続けた中村哲(なかむら てつ)さんが銃撃されて亡くなってから、あすで5年になる。22年前に初めて会ったとき、「途上国(とじょうこく)のあらゆる悩みが集まったのがアフガンです」と言っていた。貧困、紛争、難民。これらの根源(こんげん)には「旱魃(かんばつ)がある」とも▼当時は米同時多発テロの翌年で、世界の注目は米政権が掲げる「対テロ戦争」にあった。米英軍のアフガン空爆でタリバン政権が崩壊し、東京でアフガン復興の支援会議が開かれた。国際政治が声高(こわだか)に語られるなかで聞いた干ばつの話に、虚を突かれたのを思い出す▼医師としてアフガンの山村(やまむら)に診療所を建てた中村さんは2000年の大干ばつ(だいかんばつ)を経験し、井戸掘り(いどほり)を始めた。砂漠化を止めるための灌漑(かんがい)事業で東部のクナール川流域に取水堰(しゅすいぜき)や用水路をつくり、約1万6500ヘクタールに緑をよみがえらせた▼自著『アフガニスタンの診療所から』には、ヒンドゥークシ山脈の雪が夏に溶けて農地を潤す(うるおす)自然の営みについての記録がある。「温暖化によって年々この雪が減少、全土で砂漠化が進みつつあった。(略)村々が消滅し始め、農民たちが続々と流民化していた」▼内陸の山岳地帯(さんがくちたい)は、気候変動の影響を受けやすい。銃撃事件の背景にも「水」があったという見方が強い。国境を越えて流れる川の水をめぐって、他国の怒りを買ったのではないかと▼温暖化には歯止めがかからず、水の重要性は増す一方だ。乾いた地へ中村さんが引いた水は、いまも地元の人々を潤している。