2024年10月29日 5時00分
イシバ氏とイシバシ氏
自民党の歴代政権で、最も短命に終わったのは石橋湛山(いしばし たんざん)内閣だった。1956年末からわずか65日間。就任直後に病(やまい)に倒れた。しばらくの静養(せいよう)を周囲は勧めたが、本人は首を縦にふらない。潔く退いた▼湛山はかつて東洋経済新報(とうようけいざいしんぽう)の記者だった。けがで登院できぬまま座(ざ)にとどまった浜口雄幸(はまぐち おさち )首相を、政治的空白をつくるなと社説で批判した。切っ先(きっさき)を己に向け、言行一致(げんこうふいっち)を貫いたのである▼この期間中に、ある男児が生まれた。大人になって銀行員から政界へ。石破茂首相である。湛山の姿勢や思想には「今の日本政治に対する重要な示唆がある」と、近著『保守政治家』で讃えている(たたえている)▼こうも書いている。「国民は、本当に自民党が反省し、改革をしていくのかどうか、じっと見ているはずです」。初版(しょばん)は8月。その後の日々をかみしめているだろうか。衆院選で自公は過半数を割る大敗となった▼敗因の全てが石破政権にあるとは思わない。「政治とカネ」は自民党の宿痾(しゅくあ)だろう。だが石破氏の数々の言行不一致ぶりが、不信を深めたのは間違いない。きのうは「国政の停滞は許されない」と続投の意向を示したが、そもそもあっという間に衆院を解散し、政治を足踏みさせたのは誰だったか▼政治家が自らの言葉を守れぬなら、国民の信は失われる。そのとき「単に多数党たるの故に、彼らの内閣が続いて新たに出来ても(略)とうてい永続するはずはない」と湛山は言った。この先どう転がっていくのか。まだよく見えない。