2024年4月23日 5時00分

カント生誕300年

 哲学者のカントは規則正しい(きそくただしい)人だった。夏も冬も毎朝4時55分に起きる。講義などを終えると、きっちり午後3時半には散歩へ出かける。同じ道程(みちのり)を歩くので、街の人はカントを見て時計の針を正した(ただした)、という逸話(いつわ)があるほどだ▼きのうは生誕300年。難解な著作のうち『永遠平和のために』(中山元(なかやま もと)訳)だけは読み通した。書かれているのは悲観的な人間像(にんげんぞう)だ。「戦争はあたかも人間の本性(ほんしょう、ほんせい)に接ぎ木(つぎき)されたかのようである」。放っておけば戦争になる。だから止める手立て(てだて)を、と説く▼駆け足で言えば(in short)、その手立てとは、国民が主権をもつ国々による連合だというのがカントの答えだろう。戦争を選んで兵士として戦うのか、巨額の費用を負うのか。当事者である国民が決めるならば「割に合わない〈ばくち〉を始めることに慎重(しんちょう)になるのは、ごく当然のこと」▼だがいま国連はあっても、ロシアやイスラエルなどの国家による戦争が続く。「割に合わない(not worth it)」という感覚が、わが国会にあるのかもいささか怪しい。平和への航路は波高し(なみたかし)、だろう▼希望はあるのか。「我々は後ずさりしながら、未来に入っていく」という、ある詩人の言葉を思い出す。ボートは後ろ向きに進む。嵐の中をゆく漕(こ)ぎ手の目に映るのは、荒れ狂う(あれくるう)波という現在だけだ。でも背後の未来には、雲の切れ間がかすかに見え隠れする▼永遠平和の実現が無限に遠い先のことだとしても「つねにその目標に近づくこと」をカントは求めた。オール(oar)を漕ぎ続ける。