2023-06 

「志位和夫はもうあかん!」日本共産党を除名された伝説の幹部が激白

 日本共産党の凋落がとまらない。

 今春の統一地方選では、維新が躍進したのとは対照的に大敗。道府県議選、政令市議選で前回獲得した議席の2割、一般市議選でも1割を失う惨状だった。

 大敗の背景には、古参党員を除名したため、党内に動揺が広がったことがある。

 元党京都府委員会常任委員の鈴木元氏(78)は党歴60年の大ベテランで、党勢拡大の大功労者である。だが、今年1月に出版した『志位和夫委員長への手紙』(かもがわ出版)の中で、志位和夫委員長を批判。すると、「わが党の綱領路線に対する全面的な攻撃」「派閥・分派行為」などとして、今年3月に除名されてしまったのである。

 鈴木氏の除名は党員たちを失望させ、党の機関紙「赤旗」は、3月だけで日刊紙と日曜版を合わせて計約1万部も減らしている。

叩き上げの剛腕活動家

 1944年に大阪に生まれた鈴木氏は、高校時代に共産党の青年組織「民主青年同盟」に加入。進学した京都の立命館大学(りつめいかんだいがく)では学生党委員会の委員長に就き、わずか数十人だった学内の共産党組織を1000人規模にまで育て上げた。

 部落解放同盟や全共闘との暴力闘争にも体を張って立ち向かい、「京都に鈴木あり」と一目置かれてきた。

「(解放同盟との闘争では)向こうはドス(どす(短刀))を振り回す者がいて、こちらは椅子を盾に応戦。(中略)私たちは追及を重ね、解同を締め出すことができた。当時の合言葉は『正義は強くなければならない』でした。

 大学解体を叫ぶ全共闘の学生と対峙するようになると、暴力はエスカレートしました。素手(すで)からゲバ棒や鉄パイプへ、そして火炎瓶(かえんびん)へと」

 選挙でも鈴木氏の剛腕はいかんなく(いかん‐なく【遺憾無く】申し分なく。十分に。)発揮された。

「1989年の京都市長選では、野中広務氏率いる自民党、公明党、民社党が推す候補に対して、共産党推薦候補を321票差まで肉迫させた(にくはくさせた)こともあります。この一戦は京都政界に知れ渡り、私も手応えがありました」


「一目置かれてきた」は、他の人々から尊敬されたり、高い評価を得たりしていることを示しています。一方、「叩き上げの運動家」とは、何らかの運動や活動を行ってきたが、その過程で多くの苦労や困難を経験してきた人を指します。つまり、「一目置かれてきた叩き上げの運動家」とは、長年の努力や経験を経て、他の人々から高い評価を得た運動家のことを指しています。